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スペイン・中世の街Toledo(トレド)最終編

スペイン・中世の街Toledo(トレド)最終編(朝礼スピーチネタ)

 私は今回カスティーリャ・ラ・マンチャ州の招待で今回トレドに行き、州政府主催の工業製品展示会「IPAC」に参加しました。IPACでの主な展示物は、タイル、木製品、金属製品、照明、ガーデニング、革製品、衣料、雑貨等々で、全国から参加されていました。電子技術やバイオ製品は見当たらず、少々残念でありました。

 IPACにて2度私への取材がありました。取材時にスペインの工業製品についてのコメントを求められたので、以下のようにはっきりと伝えました。 「デザイン性はイタリアに、工業製品の出来はドイツに、文化的いざないはフランスに、価格は中国に負けています。よって日本では売れないでしょう。」ただし、英語しか話せないスペイン語通訳は違う意味に訳したようで、大変喜ばれたのが印象的でした。

 ここのインタビューでは時間の約束が全く成立せず、言われた時間に会場に行ってもそこにいるのはいつも日本人とドバイ人でした。アメリカのミッションは2日目には消えていて会場に現れない状況で、律儀な日本人とドバイ人は不思議なご縁をもって仲良くなれました。また、1つのインタビューでは、相手が時間になっても居ないので、IPAC職員が電話で捕まえたところ、今から会社を出るので、1−2時間待って欲しいと言われたため、待てない日本人の私は相手なしでの取材で終えさせました。海外から無償招待しておいて、それで承認してしまうおおらかなお国柄を体感したものです。

 良い言葉で言うと、時間にも人柄も大変おおらかです。そして面白い点では、日本の時間感覚からはすべて2時間ずれています。たとえば、公式イベントは開催時間は11時。昼食は14時から。夕食は21時からやっと始まる。そして食事の終わりが午前2時。おまけに太陽は10月であるにかかわらず、やっと朝8時過ぎから明るくなり、夜は20時過ぎまで昇っている。国中2時間のサマータイムの様相です。(下の写真は20時過ぎの風景です)

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 銀行は14時で閉店し、1日の業務は終わります。一般に昼休みは14−17時。休みも2時間も長い!商店街は17時から活気が出てきて日が沈むまでやっていました。それから皆さん食事になるようです。夕食はたっぷり時間をかけてます。3−4時間は食べている習慣です。

 いつ真剣に働くのか今回はわかりませんでした。そしてどの場面でも皆穏やかで楽しそうでした。「ロマ人;ジプシー」等の人たちは見受けることができず、観光地であることを実感しました。ジブラルタル海峡越境の不法入国者達はどうしているか今度調べてみようと思います。

 今回の工業製品展示会「IPAC」では、スペインにおいての製造に対する力強さを全く感じませんでした。工業製品を見た限りではヨーロッパの二流国であり、タイル・磁器以外は歴史に裏打ちされた価値が生きていないと思います。これまで記載した歴史的文化的経緯・生活習慣が工業製品に現れていると考えます。そして農業と観光立国ゆえの穏やかさと推測しています。

 世界文化の中心であったトレドは現在世界遺産指定された観光地となりました。この点では大変すばらしい街であり、たとえば日本の白川郷とは比較にならない保存度と中世の迫力を街が温存しています。古い建物では3層構造と成っていて、ゴード時代、アラブ時代の上に今の街が建っています。ローマ市街と良く似ています。16世紀の街雰囲気そのままに人が住み、観光地になっている本物の世界遺産です。

 トレドには正味2日の滞在でした。今度は観光でゆっくりと行って見たいものです。

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スペイン・中世の街Toledo(トレド)本編その2:文化考察

スペイン・中世の街Toledo(トレド)本編その2:文化考察(朝礼スピーチネタ)

 文化では12世紀以降トレドでの翻訳がとても有名です。ギリシア・ローマの文献がキリスト教圏では散逸し、法律や学問体系が崩壊していましたが、当時イスラム圏にギリシア・ローマの文献がアラビア語として残っていました。トレドではイスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒が同居していた街であったので、皆で共同しラテン語に翻訳したのです。翻訳した文献は12世紀以降、ヨーロッパのルネサンスに大きな刺激を与えました。この成果により、スペインはヨーロパでの文化の中心になっていきました。

 絵画では15世紀ギリシア人の画家エル・グレコがトレドに住み、多くの作品を残しています。
以下他の文献より
「エル・グレコ(El Greco, 1541年 - 1614年4月7日)は、現ギリシャ領のクレタ島出身の画家。本名はドメニコス・テオトコプーロスで、一般に知られるエル・グレコの名はスペイン語で「ギリシャ人」を意味する通称である。彼の宗教画はキリスト教布教に多いに役立った。よくも悪くのユダヤ・アラブの文化はスペインから駆逐されていった手助けとなった。

当時ヴェネツィア共和国の支配下にあったクレタ島で初めイコンを学び、のちにイタリアのヴェネツィア、ローマに渡ってティツィアーノに師事し、ヴェネツィア派絵画を学んだ。1577年、36歳でスペインのトレドに渡り、没するまでスペインで宮廷画家として活躍した。

エル・グレコの絵画はマニエリスム、バロック様式に分類される。全体的に暗い画面、縦に長く伸びた構図、複雑なポーズを取る人体などが特徴的で、彼の死後は長らく高く評価されなかったが19世紀に再評価を受け、パブロ・ピカソやジャクソン・ポロックなど20世紀の芸術家にも影響を与えたという。1614年に没するまで数々の傑作を残した。

19世紀以降にエル・グレコは重要な画家として再発見され、現在ではトレドとエル・グレコは結び付けられて語られるようになった。」

少々ピンボケですが、トレド美術館にあるグレコの部屋での有名な絵画です。


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 文学では有名な「ドン・キホーテ」作者セルバンテスが1571年のレパントの海戦に参戦していました。セルバンテスはレパントの海戦で左腕が不自由になった後も従軍し、4年後スペイン帰還途中、海賊に襲われ捕虜となり、アルジェでタリ・マミという人物に買われました。このときフェリペ二世の異母弟ドン・ファン・デ・アウストゥリアからフェリペ二世への推薦状を持っていたため、巨額の身代金を課され、5年間の奴隷生活を送りました。そしてキリスト教の慈善団体によって危機一髪で身請けされスペインに戻りました。
 1585年に父親がなくなった後、スペイン無敵艦隊の食料調達係として、食料を徴発するが、教会から強引に徴発し続けたため投獄され、職を失いました。その後も徴税吏の仕事に就いていましたが、税金を預けた銀行が破産、負債として負うこととなり、税金が払えず再度投獄されたのです。セルバンテスは「ドン・キホーテ」内で、「ドン・キホーテ」は投獄中の構想と軽く記載しています。1616年、本当に波瀾に満ちた人生を終えています。

 この巨匠2名が世を去ったのち、多様性を失なったトレドは文化的に穏やかな衰退を迎え現在に至っているようです。


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スペイン・中世の街Toledo(トレド)本編

スペイン・中世の街Toledo(トレド)本編;歴史考察(朝礼スピーチネタ)

 ローマ時代の都市であったトレドはローマ崩壊後、西ゴード王国の首都として、開かれたようです。
その西ゴード王国にアラブ軍がジブラルタル海峡を渡って進入したのが711年、その後順次イスラムが進入し755年コルトバを首都とするスペイン・ウマイヤ朝が成立しました。トレドは首都でなくなり、イスラム世界となったのです。1031年スペイン・ウマイヤ朝が消滅すると、30にも上る小王国が独立しました。これより、キリスト教側で「国土回復戦争;レコンキスタ」と呼んでいる情勢となり、イスラム王国をイベリア半島から押し出していく形勢となりました。

 
 1085年キリスト教国のアルフォンソ6世がトレドを奪回し、トレドはアラブ世界からキリスト世界に移ったのです。入城当時、アルフォンソ6世はキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の肯定と名乗ったようです。これより、トレドはキリスト世界の首都として歴史に名を残します。1248年にコルトバがキリスト側に陥落するまでは、戦闘最前線の都市でありました。

 1474年パリャドリッド教会でトレド大司教のもと、カスティーリャ女王イサベル1世とアラゴン王国フェルディナント2世の結婚式が取り行われ、キリスト教圏はグラナダ王国(イスラム圏)を残し、スペインは半島を押さえたのであります。このとき、カスティーリャ王国の言葉が今のスペイン語となりました。なお歴史的な事件として1492年10月12日コロンブスがアメリカ大陸に到着しています。同年1492年にグラナダが陥落し、イスラムはイベリア半島から追い出されました。

 カスティーリャ女王イサベル1世とアラゴン王国フェルディナント2世の娘の1人がファナ1世です。その旦那がハプスブルグ家のフィリップ(スペイン名フェリペ)と呼ばれ、後のフェリペ1世となります。そしてこの息子がカルロス1世、その息子がフェリペ2世です。フェリペ2世の治世、1561年にスペイン首都をトレドからマドリッドに遷都しました。

 話は前後しますが、1502年フェルディナント2世は勅令を出し、イスラム教徒に対してキリスト改宗か追放か二者選択を迫りました。これより、フェリペ2世になる間にイスラムを完全に消し去ったのです。このとき、数世紀にわたり、世界の文化と学問の中心で、美術・科学・学術の揺籃の地アンダルシアは不毛の地と化しました。多くの文化人が海外に去ったのです。ここにスペインの文化退化が始まったと考えます。

 これより先1391年にはユダヤ教徒迫害があり、キリスト教への改宗を迫っています。このときに、ユダヤ人は多くは移動し、残ったものはキリスト教(隠れユダヤ人)となりました。この後も隠れユダヤを摘発し続け、イスラム同様スペインから追い出していったのです。金融の才能が他国に移ったのです。

 1571年10月7日、ギリシャ沖レパントにてトルコ軍と海戦を行い、フェリペ2世の異母弟ドン・ファン・デ・アストゥリアがみごと勝ったのであります。この後、スペインは無敵艦隊の名を手中にし、大西洋を我庭として、繁栄を謳歌しました。しかし、寛容性を失なった結果、異端の排除で多様性を失い、このときを頂点にしてやがて世界帝国は二流国家へと進んでいくことになるのです。塩野七生先生が述べていたことですが、ローマの衰退は「寛容;クレメンタス」を失ったことにある。と。

 トレドから首都が移った時期がスペインの黄金期であったと私は思います。現在のトレドはカスティーリャ・ラ・マンチャ州の州都となっています。次はこの当時の文化を考えて見たいと思います。


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スペイン・中世の街Toledo(トレド)導入編

スペイン・中世の街Toledo(トレド)導入編(朝礼スピーチネタ)

今週、8,9日と中世の街Toledo(トレド)に行ってきました。

 マドリッドから南へ70キロのところに中世の町トレドがあります。人口は6万人。タホ川に包まれるようにしてたつ古郁トレドを訪れると、しっとりと落ち着いた雰囲気が旅人の疲れをいやします。町の美観を大事にする政策がとられたため、町全体が中世そのままの姿で保存されているうえ、新しい建物でも、周囲の環境に調和するよう工夫がなされているのがうかがえます。画家グレコは16世紀にトレドに魅せられ、ここに住みつきましたが、彼が描いた「トレド景観」は、今日のトレドの景観と比べてみてもあまり違わないとの定評があります。歴史的には、ローマ人の支配のあと、6世紀に西ゴート族が入って来て、トレドは西ゴート王国の首都として栄えました。8世紀にアラブ旋風がまき上ると同時に西ゴートは駆逐され、11世紀までアラブ人が治めました。(以上ヴィキペディアから)

 トレドは日本では京都に当たる都市で、世界遺産に登録されており、中世スペインの首都らしく、要塞都市となっています。

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国土回復戦争の勝利のすえ、キリスト教徒はトレドをスペインの首都に決定、1561年フェリペ2世がマドリッドへ遷都するまで常に脚光を浴びてきました。

 レストラン「Adolfo」の方にワインバー見学に連れていってもらった時の写真です。地下に広がっているそのワイン蔵は9世紀のアラブの倉庫と水槽を利用していました。

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その当時、街の周囲を囲むタホ川からは高度差90mが課題で、水対策が重要であったらしく、倉庫には雨水を溜め込み渇水に備える対策の工夫が見られました。この倉庫にもアラブ時代の篭城用水タンクが地下深くに有り、ワインの湿度調整の役に立っていました。

 トレドの街の中心にはトレド大聖堂(Cathedral of Toledo)があります。トレド大聖堂はサンタ・イグレッシア教会の聖堂として13世紀に建造され、そのゴシック様式の建物はブールジュの大聖堂を模しているとのことです。 街のあちこちから塔が見え、独特の雰囲気があります。


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世界帝国であったスペインは1571年のレパント海戦の絶頂期から現在に至る経緯を今後考察します。
今回はトレド遠景の朝焼け(AM8:30撮影)を締めに使いました。

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マニラの考察

朝礼スピーチネタ;近代都市マニラの考察

 7月28日土曜日から月曜日まで生まれて初めてフィリピンに行きました。首都マニラで感じたことを記載します。

 町並みは当初イメージしていたものとは大きく異なっていました。当然整備されていない場所もありますが、中心地にすばらしいエリアがあり、まるでロスアンジェルスの高級住宅街の最新版が都心に広がっていました。RockWellと言う、MakatiCityの一角の住宅地では芝生に囲まれたスペイン風高級住宅街があります。その横にはフィリピントップの大学があります。また、ビジネスセンターの一角はまるでロスのダウンタウンの最新版。高層ビル群に整然とした町並みが広がっています。ショッピングゾーンはやはりアメリカ式の超巨大モールで、なんでもそろっていました。モールには鉄道駅があり、巨大ホテルもあり、都市計画は理想的です。

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高層ビル群の窓から見る風景は緑の中に整然と街が配置され、ゴルフ場もあちこちに設置されていました。PRA(Philippine Retirement Authority;フィリピン退職庁)職員の話では17City(日本で該当する行政単位は「区」)すべてが同じことをして競争をしているそうで、ゴルフ場は100以上あり、マニラに行く前持っていた私の街イメージとは全く異なる風景を見ることになりました。街の開発は全て財閥が行っていて、道路・下水・電力線やさらに警察(これに変わるガードマン)の配置まで民間が自前で作り運用しているそうです。税金が取れるレベルになるとマニラ市に引き渡すそうで、引渡し後も当然開発財閥の利権が沢山残っていると聞きました。

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このような都市開発手法としては、金のない政府が行う合理的な方法と思います。各財閥は魅力ある街にすることで価値を上げようと知恵を絞っていました。そのため各Cityの開発エリアでは絵に描いたような街が出現しているのです。良い街を作らないと人が集まらず、財閥の事業は失敗するので、無駄なく理想を追求しているようです。

 民力を使った効率的都市開発から日本を見直すとこの方面での競争はとても不利と感じました。日本では役所の利権優先で効率や街の魅力創造が2の次になっているからです。マニラでは先進国の街作りを見て、スピード・魅力・経済性で良く研究され作られてています。

 当然光あるところに影があります。古くからの街は取り残され、マニビ・エルミタエリア旧繁華街はハングル文字があふれています。これは最近韓国から20万人単位で移住してきたからだそうです。このエルミタエリアに大多数の日本人観光客が来ているそうです。きれいにまとめられているところもありますが、まるで新宿歌舞伎町そのものでさらに猥雑にした様相でした。

 日本人がフィリピンに対して持つイメージはこのエリアにあると思います。案内されたエルミタでは金時計を付けた下賤な日本人群が日中からホステスを連れて街を闊歩していました。PRA職員はエルミタの街に来る日本人を嫌っていましたし、私も大変恥ずかしい思いでした。

 このような日本観光客は最新鋭のマカティ、オルティガス、パシフィックシティ等のビジネスエリアには一切現れず、自分たちでエルミタより治安が悪いと決め付けていて、観光にも来ないそうです。歌舞伎町しか知らない外国人がほかのエリアは治安が悪いと言って出てこないことと全く同じことを日本人観光客はしています。丸の内や大手町、豊洲、汐止エリアを見たらその外国人はどう思うのでしょうか?マカティ、オルティガス、パシフィックシティ中心街は丸の内や大手町のようなエリアで大変治安が良く、夜間女性だけでも歩けるような街でした。

 正しい情報は自分の目に負うところとなりますが、見る場所を間違え、そこしか見ない観光客が多数を占めることで、その観光客の口コミにより、マニラは日本において大変悪いイメージを持たれていると思います。歓楽街しか行かない日本人がフィリピンのイメージを下げ、日本人の価値を下げています。



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阪神タイガースを愛する心について

朝礼スピーチネタ;阪神タイガースを愛する心について

 昨夜、阪神タイガースの熱狂的ファンと話をして感じたことから記述します。
彼は、現在阪神が下位になっていても大好きだし、必ず応援に行くそうです。彼は阪神タイガースを心から愛しています。その同一人物がこと大阪の経済状況になると相当悲観的になります。大阪経済の回復の可能性は低いと考えていて「もうあかん」と口に出しています。しかし、冷静に大阪を見ると、人口・歴史・インフラどこから見ても世界でも冠たる都市であります。

 大阪人は単純に東京と比較し、駄目だと感じるようです。日本の主要都市、さらには世界の他の都市から比較すれば、いったいどこが駄目なのか私にはわかりません。大阪はもう駄目だと大阪住民が感じ、それを口にすることが全体のイメージを下げ、勢いを失っているといえます。

 私は名古屋の人間で、名古屋の過去の自虐的行為を見てきました。
以前は「白い街」「偉大なる田舎」などマスコミから言われたい放題で住民まで自虐的でした。最近、トヨタ自動車の御蔭をもって、イメージが急に向上し、東京でも「名古屋」が持て囃されています。これはすごく大事なことと思います。住民が名古屋は元気であると感じると本当に街が活性化しています。人の気持ちの向上が街を明るくします。今名古屋は良い状態と思います。

 ここで少し視点を広げます。私は日本人に世界の中で自虐性が高い傾向を感じています。日本ではなにごともすぐに世界1位の基準と比較し、日本は「駄目だ」と口にします。以前本当に経済が弱かった時代日本人はそれをバネに出来る精神環境にありましたが、今の日本人は満たされていてこれを跳ね返す精神力や気合がなくなってきています。この状態で「駄目だ」を口にすると大阪現象が広まってしまうと危惧します。

 隣国の韓国では「日本は面積・人口とも韓国と比べたったの3,4倍しかない。」とよく耳にします。もし、日本が4倍になったらアメリカを抜いて多くの指標で世界1位になります。韓国人の心理的ポジションは日本の主要都市が大阪を見る心境であり、日本人は大阪が東京を見る心境と昨夜改めて考えていました。

  阪神ファンは野球が強い弱いといった他球団との比較ではなく、その存在が好きなのでしょう。タイガースを愛しているのです。同様に皆が自分の街を好きになり、良い点を愛して暮らして行けば、その街は世界1位の街になると思います。大阪は、そして日本は世界でもっともすばらしい点がたくさんあり、かつ良いポジションに居ます。皆で自虐的発想をやめて、自分たちのすばらしいところを愛しましょう。

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朝礼スピーチネタ;これからの日本を考える

朝礼スピーチネタ;これからの日本を考える

12月21日のブログの続きです。

「ローマ人の物語」第15刊を読んでの感想です。ローマ末期は治安が次第に失われ、国が滅びつつありました。帝国にはお金がなく、施策無しになり、国家崩壊に向かっていたにかかわらず当時、人々は以前よりすごく金持ちになっていて、国事は他人事になっていたようです。以前のローマ人の心であった、自国防衛を自分の身体で行う心はすでに無くなっていて、本国の防御防衛はお金で雇った兵を中心とした軍隊にまかせたのでありました。そうしておいて、傭兵が軍事成果を挙げると皇帝は優秀な司令官を疑い、あらぬ罪で処刑し、結果どんどんローマは行き詰りました。
そのような状況なので、蛮族と言われる「ゲルマン族」、さらに上を行く最も野蛮な「フン族」にとってローマ帝国は略奪するための絶好の対象になったのです。たびたび蛮族が帝国内に流れ込まれそのため、防御をする必要に迫られたのです。が、本国では議論と内輪もめをし、責任を皇帝に擦り付けたのです。官僚は次々と新皇帝を暗殺し続け、官僚たちが自分の利益だけ追求していた間に蛮族にとうとうローマ市内にも攻め込まれ、帝国は急激に衰退していきました。やがて誰も皇帝を継承しなくなり、帝国は自然消滅してしまったのです。ローマ消滅700年前のカルタゴ陥落のような、派手話はなく、ひっそりと消滅したそうです。皇帝不在で国が無くなった後、ローマの富は順次蛮族に持ち去られ、街から人が去り、土に埋もれて往きました。人心が去り、そして帝国首都も土に還ったのです。

ちなみに現在、ローマ市街で見ることが出来る観光スポットの一部は、土に埋まった施設を再度発掘したもので、1700年前の姿を綺麗に残しています。残念ながら、ポンペイウスやカエサルの建造物の多くは現在街の地下にあり、現在の町並みの下に構築されているので、直接見ることは出来ません。

今の日本を1000年後に見る機会があれば、そのときの日本を見た時、どういった感想を持ちえるか。歴史は繰り返すのです。東京も土に埋もれている可能性を感じます。その不安は、自分が良ければ他は関係無いと言う考えであり、その考えでやがては自分も滅ぶことをローマ史が証明しています。
これより、カエサル(シーザー)が現れるか、このまま消滅の道を歩むのか、それは日本人の郷土愛によるところが大きいと思います。自分を大事にすることは郷土を愛し、守ることなのです。

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2007年 年初のご挨拶

2007年年初のご挨拶

あけましておめでとうございます。
 弊社は今年、3つの指針を掲げ邁進いたします。

他部門・他エリアの相互理解による「助け合い」。

個人情報を守りながら、良質な情報を必要な人に届けることで世の中を豊かにする「誇り」。

仕事の成果評価を全てのスタッフがしてくれる「相互評価」

 「助け合い」「誇り」「相互評価」により、社内は皆、人に照らされて輝く「満月」になり、皆が「愛する」会社をより皆ですばらしく育てていく所存です。我社は現在、バス1台に全社員が乗れる理想の企業サイズです。この人数はコニュニケーションがとりやすく、小回りが利き、居心地の良い人間関係が持てる大きさ・人数と思っています。

個人の抱負は、希望「安心安全な社会」。「心豊かなくらし」。これを日々実現させて生きます。

今年もご支援を賜りますよう心よりお願い申し上げます。

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朝礼スピーチネタ;世間の常識について、食物編

朝礼スピーチネタ;世間の常識について、食物編

私は以前より世間で言われる常識が本当か、疑って見て、考えることをしています。たとえば、無農薬野菜の安全性について意見を述べます。無農薬野菜は身体に良い常識と少し違う視点から食の安全を述べてみます。農学の世界では、葉系野菜を無農薬で育てる場合、虫喰いが問題となります。なぜなら野菜にとって葉は自らの生命のエネルギーを作る大事な部位のため、野菜の天敵である虫に喰われることを減らし被害を減らすため野菜はもともと葉に毒を持ちます。特に虫に喰われるとその傷ついた部分に全力で毒を造ります。よって、虫喰いがあると生物毒が強い葉である可能性が高くなります。農薬と葉の毒性どちらが高いか考える必要があります。つまり無農薬野菜が絶対安全では無いようです。

また、メタボリック症候群の視点も含め、肉食については評価が低い状況です。確かに現代はカロリー過剰摂取とたんぱく質媒体の病気が増えつつあり、遺伝子構造が近い肉(哺乳類の肉)を避けた方が安全な気がします。ただ、動物としては自分の身体と組成が近いものの方が、消化効率が良い。つまり植物の葉より、根。根より実。実より動物の肉。肉の中でも虫・鳥より「4つ足:哺乳類」の法が順番に組成が近くなる。たとえば、豚は人との遺伝子の差が10%以下ゆえ、消化効率が優れているので、味覚として肉をおいしく感じると見ています。本来身体に優しい食物なのです。

過去、「人」は自分の力で取れるものしか食べれなかったので、草木の実、果物、植物の根、そして虫、小動物が身体にとってもっとも自然な食べ物と考えます。結論としてはかなり無理があることを承知で述べます。同意を得にくいのですが、無農薬野菜より遺伝子的にも問題が少なく、たんぱく質媒体の病気が少ない、ローカロリーの食物である「虫=昆虫」が人にとって優れた食材と結論を出すのは非常識でしょうか。見た目悪い部分を加工すれば結構食材として出すことが出来ると考えます。

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朝礼スピーチネタ;世間の常識について、歯磨き編

朝礼スピーチネタ;世間の常識について、歯磨き編

私の親友に歯学部の教授が居ます。
彼は、世間常識と異なる歯磨き方法をするようにいつも私に言っています。

[1] 食後の歯磨きは身体に悪い。30分以上経過してから実施すること。
[2] 1日2回磨くと歯を傷める。朝1番が良い。
[3] 歯を磨くならば、歯茎をマッサージしろ。歯茎にブラシの背を当てろ。

[1]についての説明をします。
食後30分以内に出る唾液は強いアルカリ性でこの唾液が胃に入ることで食事の消化で出た胃酸を中和するそうです。よって、食後すぐに歯を磨くとこの唾液を洗い流し、中和が不良で、胃酸過多で胃を傷めやすくなるそうです。

[2]についての説明をします。
歯石を含め、1日1回の歯磨きで十分に歯の汚れを落とせるそうです。それ以上はエナメル質を削り良い効果はない。口臭については磨くより、消臭剤の方が効果が高い。

[3]に付いて説明をします。
日本人の多くは歯磨きはするが、歯茎のマッサージに興味がないので、折角歯がきれいでも歯槽膿漏に掛かる方が多いそうです。綺麗な歯がそのまま抜ける。毎日歯茎をマッサージし血行を良くすることで、歯槽膿漏は相当防げるそうです。以上より、食後に歯を磨くと胃を傷める。

そういえば何時も歯を磨いているの方は胃が悪い気がしてきませんか。

皆さんが信ずる習慣は本当に身体に良いかじっくり考える必要があります。たとえば、界面活性剤の入っているシャンプーで毎日頭を洗うと毛が抜けやすくなり、新毛が生えにくくなるそうです。過ぎたるは及ばざるがごとし。綺麗にし過ぎると却って身体に悪いことが多いと感じています。抗菌は抗人間だったらどうなるのでしょうか。

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朝礼スピーチネタ;環境保全;割り箸における環境保全運動について

朝礼スピーチネタ;環境保全;割り箸における環境保全運動について

皆さんが日々利用する割り箸についての情報です。基礎知識として申し上げますと、日本における現在割り箸の年間年間消費数は250億膳となります。そして日本における割り箸の消費の96%を海外生産に頼っています。そのうち99%が中国産割り箸です。その年間消費量は120平方メートルの住宅1万7000戸の家に相当する木材利用量となります。そして中国製の割り箸の原材料を間伐材ではなく、通常の木を割り箸にする原材としている。これが問題です。中国は通常材を使用するためコストが安い。現在1膳あたり平均0,75円で日本に供給して居ます。それに対して日本ではコストが掛かる間伐材を原料に加工し割り箸にしているので、1膳あたり平均2,08円掛かっています。各大口需要企業はコスト削減を重視した結果、安い中国産に利用をシフトしてしまいました。最近日本製は4%しか使われていません。そういった環境下、先日中国都合で今までの1.5倍にする交渉を始めました。自国の森林保護が言い分です。自国森林保護の価格交渉は中国からの一方的通告です。シェアを押さえた上の巧みな交渉で、このコストアップ分を中国の森林保護費に当てるそうです。
日本企業がコスト重視をした結果、生まれた問題ではないでしょうか。コスト優先がもたらした弊害といえます。もともとは、割り箸の販売利益で日本の森林維持に必要な間伐材処理費用を払ってきたのです。本来森林を維持するための間伐材で作られることで、割り箸代金はその利益の1部を間伐費用にあて、日本の森林保全に利用されてきました。今後、国土保全のためにも割り箸代を林業維持費と考えるべきです。
まず、国産の割り箸を使う運動を開始しましょう。

その上での話となります。現在、日本の間伐材では全ての割り箸利用需要をカバーできません。その課題を解決する運動が始まっています。マイ箸運動です。詳細はwww.my-hashi.jp 等の運動がスタートしています。
これは後日詳細を記載いたします。

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朝礼スピーチネタ;心つくりについて すぐに出来る美しい心のつくり方

朝礼スピーチネタ;心つくりについて すぐに出来る美しい心のつくり方

日々、生活をする意味で気持ち良くそして効率良く出来る考えを述べて見ます。身近な例として、会社ビルの1階扉について述べます。弊社は自動扉ではないので、入出館する際に扉を押し開ける取手がついています。その取手を無視して、ガラスをダイレクトに押す人が居ます。視線上に手の平指紋がベタリと残り、いやでも目に入ってきます。気持ち良いものではありません。掃除の方が毎日一所懸命磨いてくれているのですが、すぐに指紋がついています。いつかは気が付くことを期待してきましたが、掃除の手間が大変であることををわかってもらうため、来客まで含めると運用が大変でしょうが、10月からは指紋が一致した方にガラスを磨いてもらうと表示しようか考えています。自分で掃除の手間の大変さを知ればきっと汚さなくなるでしょう。汚れは心の隙を生じ、やがて壊れても気にならない心になると考えています。こういったことで是正できれば十分価値がありそうです。

学術的にみると、「心をきれいにする Broken Window(クリング博士)」の考えがあり、ニューヨークが世界一の犯罪都市から蘇えらせた運動・活動方針です。もともとは「禅の精神」日本の心に沿った運動なのですが、最近本家本元の日本人の心が壊れてきた気がします。まずは「自社よりはじめよ。」心をつくります。

心つくりとは以下のことを基本に生活を改めれば、すぐに効果が出ます。
1.心を掃除する、きれいにする→掃除・奉仕・返事・整頓。毎日します。
2.心を使う→目標作る・記入方法を示す・優先順位をつけ、すぐ実施。
3.心を強くする→継続・「敵は自分」必ず続けること。
4.心を整理する→過去を悔やむな・未来を憂うな。将来を見定めよ。
5.心を広める→人に教えることで自分の理解を深める。

10月から始める宣言をここでしたいと思います。

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アメリカ合衆国について;ボストン・古き伝統を大切にする街

アメリカ合衆国について;ボストン・古き伝統を大切にする街

アメリカ合衆国のスタートはボストンにあると思います。1600年のころ、イギリスから渡ってきた人たちが東海岸のこの辺りに到着したのです。ボストンティーパーティ事件にて、英国からの独立の舞台になったところです。

市の中心ステートメントハウスの前にはパブリックパークがあり、このあたりを中心にして、古い町並みが広がっています。夜間照明用の「ガス灯」がたくさん見受けられ、情緒ある石造り中心の落ち着いた街です。古い町並みを残すため、中心の住宅は開発制限がかかっていて、市民は窓1つ交換出来ないところでした。姉妹都市は京都と聞いて納得しました。京都より、生活レベルでの町並み保存に熱心と感じます。200年前の雰囲気をそのまま残していると思います。看板やネオンは当然禁止(東海岸は規制があります)。ただし現在、街の中を走る高速道路を地下に付け替える工事をやっていて工事だらけといったイメージを受けます。市民の方は総工費8兆円にもなる工事には疑問を持ちながらも、高速跡地が公園になることを楽しみにしているようです。
ダウンタウンに目を向けますと、クインシーマーケット(ファニエルホール)が観光の中心で、若い日本の女性はまとまって買い物をしています。古い町並みの表参道と言った感じでしょう。
チャールズリバー沿いを歩くとアメリカの北部東海岸の特色を肌で感じます。特に日本では見慣れない風景として川沿いに立派な家があるのです。水面と同じ高さに見えるぐらい平然と川沿いに佇んでいます。日本ならば当然堤防があり、堤防の外に家が密集してそこに人が住んでいるのですが、そんな雰囲気はありません。川に堤防があまりないのです。訳を聞けば、何百年も川が氾濫したことがないと言ってます。川が平らな広い平野をゆっくりと流れています。事実、友人の自宅も川のすぐ横に建ててあり、ボートが沢山自宅横につないであります。敷地は広大で、隣の家でも車かボートで行く生活でした。郊外に向うと自宅の敷地で馬を飼う風情が見受けられ、豊かさを実感できます。ついでに地震は記録によると800年前にボストンに来ていて同じ800年を経過して起こった神戸の地震は人事ではないと友人は言ってました。しかし、全般的に災害に対して暢気な雰囲気を感じる街です。MITやハーバードといった有名大学の智と歴史を持つ大人の街と言えるでしょう。

朝礼スピーチネタとして、

アメリカ東海岸の北部エリアには川の堤防があまりないのがとても印象に残ります。ポトマック川やハドソン川にもこれといった堤防はありません。

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朝礼スピーチネタ;911テロの考察その3

911テロ(同時多発テロ)の考察;5年前の米国に関する記述その3

5年前の9月11日、日本に戻ってきて、その日の夜9時過ぎに三井物産のOBの方たちにアメリカの近況やペンタゴン訪問の報告をしていました。そのとき、彼らに三井物産から緊急電話が入ってきたのです。そこで至急テレビを見るように言われました。ちょうどその時間に、911テロが発生したのです。驚くべきタイミングでした。今回掲載部分は少しになりましたが、連載してきたその当時の文章の続きをここに提示します。

■この文章を書いた翌日にアメリカの同時多発テロがくしくも起こった。「誇り」と「リスク」は隣り合わせであることを突きつけられた。一週間前の同日、同一の場所ペンタゴンにいた。生きていく「リスク」を強く感じている。少々唐突であるが、キリストの父であり、嵐の神である「エホバ」は生きることに厳しい。その考えを信条にしている米国は傷ついた「誇り」をどのように戻していくか。

米国にキリストの「やさしさ」を期待し、私はこの成り行きを見守る。

以上の内容にて当時ある出版物に投稿、掲載いたしました。かなり問い合わせを受け、話もさせて頂きました。

最後の言葉にて期待していたシナリオに残念ながら成りませんでした。最後の言葉「キリストのやさしさ」はなく、米国は妥協せず今日に至っています。1700年前のササン朝ペルシャ(古代イラン)と古代ローマ帝国との戦いの再現がなきことを心から祈って居ます。ローマ皇帝コモディスから始まった「パルティア;古代イラク」つぶしがやがてローマ帝国自身を滅ぼして行く歴史を繰り返すのでしょうか?

この機会を持ってアメリカについて書いてみようとおもいます。

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朝礼スピーチネタ;911テロの考察その2

911テロ(同時多発テロ)の考察;5年前の米国に関する記述その2

前回の続きの記述です。1951年、55年前の9月8日、日本が占領下より開放され、国際社会に戻れる条約が締結されました。そして執行日の52年4月28日に国際社会に独立国に戻れました。私は本日から5年前、日米講和条約締結50周年を迎えたその日、サンフランシスコにいました。この記述はいまから5年前の出来事になります。

 2001年9月8日は日米講和条約締結50周年である。日本が戦後の独立国として、スタートした記念日である。今、偶然にもその場にいる。50年前に再度独立国として、誇りを持つことが出来た日本は今、その「誇り」を国民に感じさせる力が減っている。この原因は、なにであろうか?個々の日本人にあるのではないだろうか?自分の答えを求めた。自分自身が現在、アイデンティティを減らしていることが原因である。私は国という組織に自己の意識まで、委ねている甘えを感じる。人が生きていくストレスが日本ではオブラートに包まれ優しくなっている。

 社会は安全を必要以上に重視して無駄なコストを使っている。日本にいると、その引き換えに「誇り」は抑えられている気がする。米国は確かに生きていくストレスを感じる。リスクが日本より、かなり強い。その分、自分のことは自分で情報を集め、分析し、自信を持って生きている。自分の判断で生きていく、そういった感覚が「誇り」を創る。「依存、依頼」の精神に「誇り」や人への「やさしさ」は持ち得まい。

 自信を持って人まかせにせず、自分で判断する。自分で生きる意思を日本人個々が持つ。生きることにはいつも「リスク」があり、常に隣り合わせにいる。そして、それらを理解した上で、自分が所属する国である日本を一人ひとりが少しづつ良くして行く。 それが21世紀に向かう日本人が誇りを取り戻す条件と考える。まず、自分から始める。そんな結論を今、持っている。

次回は9月11日911テロの発生した日に連載いたします。

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朝礼スピーチネタ;911テロの考察

911テロの考察;5年前の米国に関する記述その1

私は2001年9月6,7日の2日に亘り、参謀議長リチャードマイヤーズ氏のご招待を受け、ペンタゴンに訪問してきました。その記述を3回続けて連載します。この記事は当時、出版社から訪問時の記述を依頼されたもので、この3回は当時のまま、掲載された内容を開示いたします。

米国からの考察/日本人の誇りを取り戻そう      

       ビーシープロダクツ株式会社 

       代表取締役  渡邊 真人 

 生まれて初めて、ペンタゴンに行ってきた。

1773年の陸軍創設からの歴史が廊下に整然と並んでいた。軍は米国の成立より3年歴史が長いことを相当の誇りとしていた。200年以上にわたる戦争の歴史の変遷に合わせたストリーマが整然と沢山飾ってある。(ストリーマ;旗の先に付ける細い布)一つひとつは歴史であり、成果であると考えている。

 米国の軍は「誇り」の歴史であるようだ。さらに、軍の創設から個々の軍人に与えた、勲章受賞者の全ての名前が並んでいるコーナーがあり、この場所で毎年英雄を表彰する。殉職者を称えることを中心に個人の名誉(誇り)に相当の配慮がある。命を冒したり、失ったことで得る「誇り」には「リスク」が表裏一体で存在している。それらを案内した、制服担当の若者は最初から最後まで、こちらを見つめたまま、全く後ろを振り返ることもなく、後ろ向きで歩いている。自信に満ちた微笑を称えたまま、軍の歴史を語っていた。そして長い廊下(全部歩くと28キロにもわたるらしい)を後ろ向きに歩き切った。後ろを見ずとも前進できる。印象深かった。

その後表敬訪問した参謀議長Richard Myers氏(空軍出身初の議長)の部屋にも、そのストリーマの飾りがついた旗が沢山あった。軍のアイデンティティがはっきりと示され、「誇り」を持って示されている。この誇りを見せられた米国市民は軍をどのように見ていることであろうか。

 お世辞であるかも知れないが、ペンタゴンの日本部長Jhon Hill氏からもっとも信頼すべきパートナーは日本の自衛隊と言われた。その世界第2位の実力を持つ「セルフディフェンスフォース」はこの名誉を日本国内では与えられていない。隊員はいかに「誇り」を維持しているのか、つかめない。

次回の続きは9月8日、サンフランシスコ講和条約の締結日に記載します。

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朝礼スピーチネタ;社会の安全性と自己責任について

朝礼スピーチネタ;社会の安全性と自己責任について

最近、六本木ヒルズで起こった、「回転ドア」の事故は時間が経過し話題に上らなくなりました。現在、大型回転ドアは当時の問題を解決し、相当安全な対策を施し、汐留センタービル等の一流ビルで活躍しています。その事故防止に対する創意工夫については目を見張る思いです。

六本木ヒルズ事故当時、私は300名ほどに個人的に以下のアンケートを実施しました。この事故の責任者は誰か?という問いです。
1、ビルのオーナー
2、回転ドアのメーカー
3、事故に遭った子供の母親
ことたのアンケートでは、マスコミの意見とは異なり、過半数は「母親」が事故責任者と言う結果でした。このような事故原因について、親の責任でないとするならば、日本はさらに規制が増え、社会の安全コストが以上に上がり大変住み難い世の中になると予測します。多かれ少なかれ、日本人はこういった自己責任の考えが国・自治体任せで甘いと感じています。自分の安全は自分で考え、行動することが大事です。もし、自己責任を考えず、メーカーに責任を問えば、新たな技術による運搬商品の製造できなくなります。

今、シンドラー社製エレベータに関わる事故がマスコミを通じ世間で話題になっています。ただし、回転ドア事故後、全国の回転ドアの利用自粛をしたようなことはなく、事故を起こしたメーカー以外の使用を禁止命令をすることはありませんでした。社会で普及度が圧倒的に高いエレベータやエスカレータは、回転ドアのように使用中止できない側面もあるのでしょうが、多くの人は回転ドアと比べ危ないと感じていないのでしょう。
本来、エスカレータについては決して安全とはいえないと思います。たとえば、東京消防庁管轄でエスカレータに関わる緊急出動が昨年1,000件を超えているそうです。

こういった環境下、JR東日本と日立製作所が共同で東京大学にて研究中のユニバーサルデザインを導入したエスカレータの実証実験を高崎駅で実験しています。このような短所を工夫し、改善する行動がすばらしいと思います。社会的価値がある新たな工夫や取り組みを私は評価しています。「ハチドリの滴」のような大人の対応であると思います。

高崎駅でのユニバーサルデザインを導入したエスカレータの実証実験
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現代科学技術の危うさについて

現代科学技術の危うさについて

私は大学の専攻が土木工学であったので、現代社会を支える建造物の工学的危うさについて述べてみます。

まず、最初にコンクリート強度ついて述べます。現在までコンクリートがなぜ固まるのか誰も正確に説明出来ていません。まず、コンクリートはセメントに砂利等の骨材を混ぜて出来て居ます。人類は紀元前からセメントを使用し、利用経験に基づいてコンクリートに利用しています。そしてこれまでの過去の経験を基に強さや丈夫さを計算し、構造物に利用しています。一定以上の強度があれば震度7程度に耐えられると考えられているのですが、その基準となる耐震基準も長年の経験を基準にして理論武装しているのです。地震震度の表示についても、テレビで良く言われる震度はかなり主観によるもので、数学的な数値ではありません。もし、住んでいる家が地震で壊れてもそのときの震度は良くわからないのが実情です。つまり、本当に今使っている構造物は大地震のときに大丈夫かどうか誰も保障できないのです。同じことは、橋の設計についてもいえます。過去の多くの失敗を積み重ね、してはいけないこととうまく行ったことをまとめてきて現在の長大橋が出来ています。経験以上の地震が来れば壊れることは十分にあります。自然と向き合う場合、万全と言うことはないと思います。

土木建築以外についても同様なことがあるようです。たとえば電気について専門家と話しをすると送電技術もなぜそうなるかわからないことが多いそうです。どうして電気が送れるのか良くわかっていないそうです。工学は経験則の上に理論を載せているのもが多いと思います。ただし、人がわからないから危ない。使わない。これは社会を止めてしまいます。社会の発展がなくなります。経験則に従う限り、通常環境では安全なのです。人が経験を無視し、増長したとき、自然からしっぺ返しをくらいます。つまり知恵や価格の過信・おごりが「危うい」と思います。

今東京にたくさん建っている超高層ビルが安全であることを願ってやみません。

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朝礼スピーチ題材;女性の社会進出について

女性の社会進出について

日本に専業主婦が出来たのは1950年ごろからであって、そんなに長い歴史はありません。当時、サラリーマンは「エリート」の代名詞であり、その奥さんになることは外で仕事をしないで生活できる憧れの「有閑マダム」つまり専業主婦業だったのです。女性が外(社会)で働かない生活分業をはっきりさせたのが近年のサラリーマン社会です。それ以前の日本は多くの方が共働きが前提の農業に従事し、女性も一人前の働き手でありました。その社会構造を工業化社会が分業化したのです。簡単に言えば、男性が朝早くから夜遅くまで会社で集中して働けるように、女性が家業を分担する分業体制を作り出したのです。重工業ではこの方法がもっとも効率が良く、近代日本人の生活パターンになりました。男性1人がまとまって働く方が男女2名が分担して会社で働くより効率が上がるためです。ただし20年ほど前からサービス業、特に「知的産業」が増えるにつれてこの手法が通じなくなりました。さらに長期不景気により賃金カット等で男性だけの収入では家庭を維持できなくなりました。その上、人口減少と「知的産業」の拡大により、女性が働く場が用意されたことで、男女とも働く環境に戻りつつあります。他国の例を見ますと、人口が少ない北欧は歴史的に人口不足の背景があり、女性進出が進んでいます。当然女性に働いてもらうための制度がたくさんあるのです。反対に近代工業化が遅れている国や地域では今でも共働きが中心です。
女性の職場進出はかつて、もっとも先進的であった、男女分業社会が世の中に合わなくなったと考えます。女性の社会進出は今後も続き、やがて男女同業に近づくでしょう。ちなみにこの問題で原因と言われる日本の男尊女卑思想は「武家社会」つまり1割のマイノリティ社会の考えであって、江戸時代の一般人には男女差はありませんでした。この件も戻りつつあります。時間軸を伸ばすと正しい将来が考えれると思います。

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7月7日 七夕に月を売買した人たちについて

七夕に月を売買した人たちに