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2013年12月

靖国問題

靖国問題

「靖国神社は純粋なる戦没者追悼施設ではない」

 現役首相が、自国のために尊い命を落とされた英霊を称えることに海外から批判を受けることに、日本人として耐え難い気持ちであります。たとえばアメリカでは、アーリントン国立墓地にこの機能があり、国民全てが英霊の尊厳を認めています。それなのになぜ、日本はここまで批判を受けるか、をもっと国民が考える必要が有ります。それは、靖国神社が、1869年に建てられた官営の神社であり、純粋なる戦没者追悼施設と言い切れない側面を持つからです

「A級戦犯合祀問題」

 靖国神社には、A級戦犯合祀問題があり、昭和天皇から今上天皇に至るまで、戦後一度も参拝されていない事実があります。このような靖国神社を、今後も国を挙げての戦没者追悼施設として良いのでしょうか。A級戦犯は日本を誤った道に導いた指導者として、連合国が裁き、死刑とした方たちです。中国・韓国だけの反発では済...ない問題を持っています。

「戊辰戦争や西南戦争の英霊」

 さらに靖国神社には、戊辰戦争や西南戦争では、はからずも賊軍となった、会津藩士や薩摩藩士は靖国神社には奉られておりません。西郷南州や、反政府勢力の藩士たちも今の日本を創るにあたり、尊い命を捧げた人たちです。賊軍の一言で、追悼施設に入れないことに今不満を感じます。

「千鳥ケ淵戦没者墓苑」

 過去から同様の提案をしていますが、たとえば、千鳥ケ淵戦没者墓苑を公式の戦没者追悼施設として格上げをし、皇居の一部にもっと立派な施設を作ることを考えています。そこに、海外での戦没者だけではなく、今そして未来の日本のために亡くなった英霊を奉り、靖国神社より幅広い英霊を讃えることをしたい。ただし、海外で批判を受けるA級戦犯は外します。日本に安寧を齎すために亡くなった方たちに、きっとこのことは納得してもらえることと思います。そうすれば、この地を現役首相が参拝しても海外で批判される理由はなくなります。

「宗教の影響を受けない追悼施設」

 私は一人の日本人として、宗教の影響を受けない純粋な国立戦没者追悼施設を望みます。このまま、A級戦犯を奉る靖国神社参拝をすることは、戦勝国のルール問題にすり替わる危険を感じます。

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才と徳

人は気持ちで動く

「才」

 これは、頭が良い度合いを示す言葉でしょう。才が高ければ、頭がめぐり機転が利くイメージです。英語では「talent」。ギリシア・ローマ時代の金の単位でもありました。形容詞では「clever」。時にずる賢いの意味を含んでいます。皆それぞれに自分の尺度を持つ中、この尺度が自分になった人物を自己中心と言います。相手の気持ちを考慮できず、自分の尺度で物事を自分で決めるからです。

「徳」

 これは、心が良い度合いを示す言葉です。徳が高ければ、人を愛し、人に親切にする。人を助ける。恩を感じる。恥を知る。正義・忍耐・勇気を持つ。英語では「virtue」、天使と同等の5階級を示す言葉でもあります。近い意味では「smart」がある程度同様な意味を含んでいます。そしてこの尺度が判断の中心になった人物を「君子」「聖人」と考えます。

「才と徳」

 多くの人は皆この間のバランスで生活をし、比重が多少どちらかに偏っています。また、私生活と仕事の場でもバランスが変わるものです。ビジネスの世界では、競争世界であり、どうしても「才」比重が高い状態になります。なぜならば、即断即決が優位であり、そのときに多くの意見の集約を待てないからです。なお、これに独善が加わると「才走る」人となります。

「才走る」

 個人的には付き合えた人でも、仕事になると関わりが保てない「才走る」人と過去、いろいろ会ってきました。仕事上「才走る」人の特徴は、次のことです。
1、自分の権益が最優先。自分が得たと自分で決めた権益を絶対に譲らない。
2、自分の主張を守るためには、いかなる話も持ち出し、論点をすり替える。嘘までつく。
3、自分のことは棚に上げ、相手の問題を攻撃する。個人の尊厳領域すら踏み越える。
4、頭が良いので、その場をやりこめ、相手を誘導できたとこれまた自分で決めている。
つまり、徳が低く、自己中心です。

「人は気持ちで動く」

 才走り、言葉で打ち負かされた相手は、長期的には敵に回りやすく、結果「才走る」人は損します。また、「才」ある相手は、まともに相手をしなくなり、やがて「才走る」人の存在を忘れ去ります。それは「才走る」人と話をした後、誰もが気持ちが良くないからです。言葉に負けた人間には恨みを買い、賢い人間には私生活まで距離を置かれます。人は最後、気持ちで行動を決めるのです。これを大切にしない才の人は最終的に孤独です。

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シノフォビア 中国嫌悪思想 その2

異なる文明の中国

「中国は崩壊しない」

 中国人の8割以上は、外に無関心ゆえ、民主化に興味がありません。また、「他人」が抑圧により、人権侵害を受けていても外のことなので、ほとんど気になりません。力と利益こそが最も重視される社会ゆえ、自分が頑張って地位を向上させる。周りの圧力には絶対屈しない。これが個人の価値です。国も同様に今世界の中でやっと国の力が付いてきたから、領土も自然に増える。と考えています。その上、元々、社会に秩序を求めていないから、勝手に国境を変えてくるのです。秩序がなければ、「崩壊」と言う考えがない。それゆえ、日本人が考えるような国家の崩壊はないのです。昔から国が変わるのは、易姓革命でした。中国の制度が今後変わるとすれば、「食」や「エネルギー」が不足して、新しい指導者を求める時と見ます。

「厄介な隣人」

 国は引越しが出来ないので、日本はこの厄介な国と付き合わざるを得ません。4000年の歴史と言ってはいますが、国家として日本が中国と本当に交渉し始めて100年です。そしてそれは葛藤と争いの歴史でした。個人が本当に付き合うのはこれからです。個々の日本人はこれから初めて中国人と深く接し、付き合うことになります。今、日本人個人がこの厄介な隣人と付き合うことを始めたばかりです。

「文明の衝突」

 日本は江戸時代まで、亜流の中華文化圏でしたが、明治維新で、表面をキリスト教文化圏に合わせ、富国強兵に励みました。第二次世界大戦で、敗戦国となった日本はアメリカの占領下、精神的にも、亜流ながらキリスト教文化圏となりました。政治的にもイスラム教文化圏や、インド文化圏とは明らかに異なる文化を持ち、キリスト教文化圏の一員となっています。世界はやがてこの4つの大きな文化圏のどこかが衝突することでしょう。互いに嫌うのは自然なことです。その前哨戦が、東シナ海の尖閣諸島であり、南シナ海のスプラトリー諸島なのです。双方引くことは無いと思います。

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シノフォビア 中国嫌悪思想

嫌中から

「世界に広がるシノフォビア 中国嫌悪」

 内藤明宏氏の著作である、上記の本にうまくまとめられています。中国人にとって、内なる血縁者である親族、地縁を中心とした友人以外は「外」の人であり、外に対しては存在に興味が無い。だから、政府がどうあっても、自分には関係のない世界で関わりたくない、と考えています。他人は意識の中に存在させないのです。社会を守る考えはやはり持ち合わせていません。それゆえ、どこの国の文化や文明と衝突します。また、嫌われることも気にしないのです。

「親日中国人の言葉」

 日本を良く知り、日本を深く理解している人が、以下の発言をしました。「日本の良いところは見習う。しかし、好ましくないと思うところは、『気にしない』ようにしている。」。好ましくない点は無視するのです。その人にとって日本人の良くないところは、以下のとおりです。

1、日本人の細かい点にこだわる対応

2、周囲を気遣い、本心を語らない姿

3、ルールやマナーにうるさい

4、口約束を変えると怒る気風、時間にうるさい

5、街にあまりゴミ箱を置かせず、ゴミを持ち帰らさせる社会

6、仕事を優先し、友人に冷たい

これらを無視されれば、日本人は耐えられないでしょう。日本社会ではうまく生活も出来ないし、日本社会になじむことは難しいでしょう。

「日本人と中国人の価値観差」

 日本人から見た「粗雑」は、中国人にとっては「おおらか」。「エゴイズム」は「身内最優先」。「ルールを守らない」は、「ルールを認めない」。「うそつき」は、「事実や客観性への無関心」。「ゴミを撒く」は、「外のことに無関心」。「家族や友人を大切にする」は、「内に強い関心」。となります。こんなに価値観が違えば、話して解ることはありえません。

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