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海賊

海賊のイメージは創られた

「ピラータは非公認、コルサロは公認海賊」

 イタリア語でパイレーツをピラータと言い、一定の国の支援を受けていない海賊を言いました。そして主にトルコの支援を受けた公認の海賊をイタリア語でコルサロと言っていました。当時、公認の海賊が堂々と活躍していたのです。

「ただし、公認・非公認、盗むものは同じ」

 海賊なので、主な仕事(ものを盗む)は同じなのですが、公認海賊コルサロは、トルコ船籍(旗等)を持っていました。通常時は海賊なのですが、国と国の会戦になると、トルコ海軍としてキリスト国家の海軍と戦っていたのです。キリスト教圏を痛めつける海賊の利害とトルコの利害が一致していて互いに手を組んでいました。有名な海賊の頭目の1人はトルコ海軍総司令官として今でもイスタンブールに像まであります。公認海賊はキリスト教圏の海軍と戦えるほど組織化され、大規模でありました。

「海賊が盗むものの中心は地中海沿岸住民」

 海賊は船も襲いましたが、盗む中心のものは人でした。動く船を襲うより、定住しているキリスト教の住民を襲う方が効率が良いのです。組織化された海賊が数千から数万人で海から押し寄せてくるのです。住民は逃げるしかありませんでした。そして拉致された人は北アフリカに運んで、男性は船こぎ(船のエンジン)や農業労力として、女性は奴隷として売られていたのです。1000年以上の期間、どんなに少なく見積もっても100万人以上は商品として盗まれ続けました。

「地中海の海賊は1856年まで活躍していた」

 1856年の「パリ宣言」まで、地中海には海賊がいたのです。そして19世紀後半やっと地中海世界から海賊が消えたのです。それまで、営々と人を盗んでいたのです。いまでは観光地となった美しいイタリアの地中海の沿岸は、パリ宣言まで人が住んでいないところが多かったのです。海岸線には砦がたくさん残っていることが海賊対策の象徴です。

「海賊といえば、木造大型帆船に側面大砲?」

 海賊が地中海を荒らしまわった時期は、ローマ帝国が滅び、北アフリカにイスラム教が浸透した紀元700年代から国による近代海軍が整備された1800年代までの1200年間に及ぶ期間です。海賊が現れて1000年間、海賊と言えば手漕ぎのガレー船であって、風を頼りに動く帆船ではありません。帆船が活躍したエリアは地中海で、手漕ぎのガレー船が主力でありました。よって、映画に出てくる木造大型帆船に側面大砲の船は近世になるまで存在していなかったのです。

「ドクロの海賊マークは映画の世界」

 実際の海賊は沿岸に近づくまで国家公認旗で航行し、目標に近づくと一揆加勢で上陸していました。遠くから海賊と判る行為はなかったのです。ドクロの海賊マークは映画の世界といえます。

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