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日本の道徳

日本を良くしたい。

「トイレの後、手を洗わない人」

 最近男性トイレで小用を足した後、手を洗わない輩が目に付きます。昔すごい友人と一緒にトイレに入りました。彼はトイレに入るなり石鹸で丁寧に手を洗い、その後に用足し、そしてそのままトイレから出て行ってしまいました。後でその理由を聞いたら「外でいろいろなものを触り手が汚れているだろう。汚い手で自分の大事なものを触れることは出来ない。」私は驚いて聞き返しました。「ではその後手を洗わないのはなぜか?相手に失礼だろう。」その人曰く、「毎朝シャワーしていてとても清潔だから大丈夫。」

「人に対するおもいやり」

 手を清める行為は他人に対する思いやりであり、古来からの文化・道徳であると思います。古来より人は便所(トイレ)は病の元があり、穢れ(ケガレ)の場所です。それゆえ生活の重要な場でありながら忌み嫌う場でした。そのため、用足し後、手を清め人に穢れを伝えないようにしたのでしょう。人々が気持ち良く生きる知恵であり習慣でした。そういった昔からの知恵を無視し、自分が綺麗であればそれで良いと言う人が増えていて、とても気持ちが悪いことです。

「おもいやりが減ると社会がすさむ」

 手を清める行為など、小さな思いやりが減ると、やがて社会が荒む(すさむ)ことは、ローマ史など歴史的にも、現在のニューヨークでも実証されています。過去の日本、江戸時代を中心にこの心の育成をした藩が沢山ありました。これが今の日本文化に大きく影響しています。例にすると会津藩の「什の掟」や薩摩藩の「郷中」があります。人としてのおもいやりが確立され、既に江戸時代日本は世界に先駆け、非常に暮らしやすい環境でありました。

「什の掟」

 什の掟を記載します。
一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
三、虚言をいふ事はなりませぬ
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五、弱い者をいぢめてはなりませぬ
六、戸外で物を食べてはなりませぬ
少々割愛しますが、最後に、十、「ならぬことはなりませぬ」

「ならぬものはならぬ」

 まずは、手を洗わない人に教えたい。自分が綺麗とかは関係ない。論議不要。「ならぬものはならぬ」。そして、このことを子供に教えていく必要を強く感じています。「トイレの後に手を洗わない行為」だけではなく、「集団でいじめをする行為」「電車でモノを食べる行為」は理由を問うまでもなく人としてしてはならないことと教えていく、強い教育意志が必要です。会津藩の「什の掟」や薩摩藩の「郷中」は社会で生きるうえで大切なことを示しています。法や理屈ではない。「ならぬものはならぬ」と。

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