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ヨブ記の限界

ヨブ記(旧約聖書の一部)を超える来世感

「金持ちが一生豊かに、幸せに暮らす不平等」

 幸せな者が、生涯幸せに終え、貧しき苦難の多き人がそのまま生涯を終えることを比較すると、どうしても理不尽さがある。人の世の理不尽を説明しようとした物語が、28日に記載したヨブ記であろうが、表題の理不尽すら神の思し召しとなる。しかし、ヨブ記の思想では、人の世の不平等を納得させる説明が厳しいと私は思う。

「人の世の不平等」

 来世が存在しない旧約聖書の世界において、人の不平等問題を解くべく創られた物語の「ヨブ記」では、神の英知は深く、人がわかるものではない、としている。が、全知全能の神がなぜ、人の心を試すことが必要か。神が恐ろしい怪物を現わして、ヨブの心にあった文句を収めさせてしまう強引な物語展開ゆえ、そこには大きな矛盾が存在する。人の目に見える人の世の不平等は、神の深い思し召しゆえ、「黙って従え」が、この物語の答えに見える。

「来世」

 西洋の神は破壊の神であり、過去に生まれ、現在を生き、そして未来に向かって滅ぶ(死ぬ)進化の思想だ。当然来世は存在しない。そのために現世の不平等を説明しきれていない。それに対して、東洋的時間概念の基礎に「不変、循環、進化」なる時間の考えがあり、この循環を纏める考えが、来世感である。来世を信ずるとは、今世の生き方が、来世の環境を決定する、と言う考えだ。前世の結果によって、今世が決まるので、今世の不平等は、過去の自己責任となる思想であり、ヨブ記より私にはわかりやすい。

「今世」

 日本の戒め的な来世感は本来の仏教にはない。来世においてランクを上げる修行(苦行ではない)の場が今世である。今世は前世の償いの場ではなく、結果であり、来世のステージアップの場である考えが今世にとって重要と見る。こうして来世を信じ、今世において来世のランクアップを目指すことも良いのではないか。そうすれば、金持ちが一生豊かに、幸せに暮らす不平等は小さなものになろう。

「袖触れ合うも多生の縁」

 これが、来世感においてわかりやすい説明の1つと思う。道で偶然袖を触れ合った人は、決して偶然ではなく、きっと遠い昔、何回か前の生涯で、知り合いだったのだ。粋で解り易い感覚と私は感じる。今世、人を幸せにすれば、来世でその人と家族になるかもしれない。来世感はヨブ記に勝る。

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