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旧約聖書 ヨブ記

ヨブ記(聖書の1部)について

「旧約聖書の重要な物語」

 どんな宗教の律法でも長く判りにくい面があるので、覚えやすく判り易い短い戒めにしたことわざ、「訓言」が出来ている。浄土真宗であれば「南無阿弥陀仏」だけ唱えれば良いと言う例もそうだ。この「訓言」で示される宗教の教えの正義だけを守って生きていれば、必ず社会的人間的に正しく祝福を受ける人になれる言葉。人はその言葉に従い、正しい生活習慣へ導かれる。しかし、「訓言」はことの本質を見失いやすい欠点がある。ヨブ記はこの欠点過ちを人々に知らしめる物語とも見ている。ヨブ記は、正悪判断は神のみが行えるとした物語なのだ。さらに後のゲーテが書いたファウストに繋がっていると言われている壮大な宗教物語でもある。

「ヨブの受難」

 ヨブ記の主人公ヨブは、地域の豪族であり、清く正しい敬虔な神の僕。日々律法の「訓言」に沿った真面目な生活を送り、財産を蓄え、10人の子供に恵まれた幸せな生活をしていた。このヨブに対して、サタンは、このヨブは本物か試すことを神に進言した。サタンの告発は、ヨブが正義をいつも口にしながら、その動機が憎悪であるかを見るものだった。物語では真面目に暮らすヨブに対して神は、ある日突然、律法に忠実に暮らすヨブに対して試練を与え、心に神に対する憎悪を持つか試したのだ。ヨブの4人の子供を災害で殺し、破産させ、さらにはヨブに重い皮膚病とさせた。そしてヨブが、神を恨むか試したのだ。

「ヨブ記が示す正義」

 物語は進み、神を信ずるヨブは最後に神に論争を挑むことになった。そしてヨブが10個の質問をした。が、神はなに1つ答えなかった。最後に出た神の言葉は「お前は私の被造物(造られたもの)ではないか。」。つまり口答えをするな。これはヨブが正しいと思っていた「訓言」を守ってさえいれば、「正義が必ず勝つ」のではない。自分で決めた正義(自分の解釈で訓言を守ること)は悪なのであるとする厳しい結論であった。

「聖書に一貫してある思想」

 絶対は神しか持ちえず、かつ神は人の利益や応報を保証しない。神だけが絶対意志を持っていると知らしめた。この話でよって導かれることは、善は人が決めるものではなく、決めることも出来ないこと。こういった考えは聖書に一貫してある思想だ。人間にとって、正義を振りかざすものが悪であり、「憎悪」が動機で正義を振りかざす者が最悪と定義している物語である。人が感じる理不尽は、口にすべきではなく、神の大きな愛の前にはなにもないのだ。

ここで私が言いたいことは次回に記載したい。

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