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1940年7月28日リトアニア大使杉原千畝氏を思う

杉原千畝氏のユダヤ民族救世 (朝礼スピーチネタ)渡辺真人

「リトアニアのカウナス領事館」

 1940年、リトアニアのカウナス領事館はナチスに追われたユダヤの方々は命がけで領事館に訴えていました。当時はどこの国もドイツに遠慮してユダヤ問題を見て見ぬふりでした。そうしたなか、カウナス領事館の杉原千畝氏はこれらのユダヤの人々に日本通過ビザを発行してよいか、日本外務省に電信をし続けていたのです。が、当時の日本は日独伊の3国同盟を重視し、返信は一切ありませんでした。日々、彼は自身の良心にさい悩まされ、ビザ発給について相当苦しんだことを、奥様が記念出版誌に記述していました。

「1940年7月28日」

 この日杉原氏は一人でビザ発給開始の判断をしました。そして命令違反で8月下旬に日本に召還されるまで、3000通近くの日本通過家族ビザをひたすら書き続けたのです。列車が動くまでひたすら書き続けました。この行動で6000名以上の尊い命が救われました。

「ユダヤ民族救世」

 杉原千畝氏は日本が世界に誇れる人物の1人と思います。イスラエル政府は1969年その他4名の功労者と杉原千畝元外交官を並べた記念切手を発行しました。このことは日本では知られていません。さらに85年にはイスラエルでヤド・バシェム賞「諸国民の中の正義の人賞」受賞し、その翌年86年に亡くなりました。

「ホロコーストミュージアム」

 その後、米国ワシントンDCのスミソニアン博物館群の一角に「ホロコーストミュージアム記念館」が建てられました。その地下一階ほぼ全体に杉原氏の功績をたたえる記念スペースが創設されています。とても立派な建物で、展示資料もすばらしく、かつ内容も深く、2001年に初訪問した際には心から感銘を受けました。日本では岐阜県八百津に記念館があります。

 現在も世界で高い評価を受けている人物が、69年前の28日、その事業を始めたのです。

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コメント

権力は世襲でははいりにくくなりました。持った人は維持に必死です。言った人が勝つ。と言った簡単な図式ではないと感じます。

投稿: 渡邊真人 | 2009.08.12 20:39

杉原さんは日本の英雄の一人です。
ドイツと同盟国の大日本帝国で個人の判断でなぜそこまでできたのか、その部分に疑問はあるのですが、多くのユダヤ人の命を救った史実は明らかです。
当時のユダヤ人は自分の意見すら発言できず、差別の中で殺された方がたくさんいました。
今の日本も権力を持った人間の、言った者勝ちと言う意味では同じようなものだと思うのですが。

投稿: 加藤弘之 | 2009.07.28 23:21

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