« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »

2009年6月

日本郵政問題

官から民への目的が薄れている   (朝礼スピーチネタ)渡辺真人

「不動産売却審査会」

 本日6月25日に、新聞トップ扱いで、今後郵政に絡む不動産取引は地方自治体に「通知」するなど、監視されることになりました。今回の売却処理の手続きの不備を認めたのです。なお、「かんぽの宿」を運用したままで、2011年黒字化と表明していますが、私個人としては、100億円相当で全施設売却の方が合理的であるとは思っています。

「西川社長の経歴」

 社長西川氏を古くから知る人の話から。西川氏は住友時代から相当わがままで、派閥好きであったそうです。頭取時代は側近で固めていました。全銀協時代も他の銀行のトップと比べ、圧倒的にマイペース。ゴールドマンサックス等のアメリカ資本の後ろ盾もあり、当時の日本郵政公社に取り入ったようです。そして民営化した日本郵政株式会社初代社長となり、経営見直しに辣腕をふるっています。

「民間銀行の手法の限界」

 鳩山元総務大臣の辞任騒ぎで今話題となっている「かんぽの宿」の売却問題は、銀行の債務処理そのものの手法を取っていました。身近な?オリックスの宮内社長を使い、早期処理を進めました。合理性は高いのですが、公の企業を動かしていることを忘れたとみます。この点を鳩山元総務大臣に指摘されました。いくら民営化されたとはいえ、郵政の資産である「かんぽの宿」は官の時代に建てた国民の財産です。銀行時代の身近なメンバーで、国民資産を民間手法に沿って処理したことが失敗でしょう。

「側近で固めた運営体制」

 西川氏は住友銀行時代の側近を多数、日本郵政株式会社に連れて経営を動かしています。処理が早く合理的なのですが、基本思想が小泉首相の郵政民営化にあることが現在の世界経済環境にそぐわなくなりました。民営化の目的として、220兆円の郵貯資産と120兆円のかんぽ資産をアメリカで運用に使うことにありました。が、当のアメリカ自身が運用破綻した米国メガバンクを国営化しつつある状態です。結果、今から郵日本郵政株式会社の民営化を進める価値がなくなったのです。しかし、西川氏側近は資産運用に重点があります。多くの人がきっと彼らの財産保全の志が疑わしいと感じているでしょう。

「民営化とはなにか」

 結局小泉元首相が進めた経済自由化は先行したイギリスやアイスランドに象徴される金融政策で失敗をしたのです。官から民が正しいことではないことを世界が知りました。郵政問題の失敗は天下り先を保証したい官僚の自己保全、小泉式選挙の題目とアメリカの日本資産取り込み思枠が交差して民営化を推進したことでしょう。結果、郵政民営化は選挙勝利のための「劇場」となっただけです。今はいったん、現業部門を除き民営化は止めるところに来ていると思います。郵便現業部門のみを民間とし、20万人以上の公務員を減らすことで、民営化目的は達成されるでしょう。この部分だけの民営化を推奨します。

| | コメント (1) | トラックバック (0)
|

新幹線の車窓から見た富士山

090511_1

富士川町を越した富士川鉄橋に掛かる場所、この景色が圧巻です。新幹線車窓からの富士山では煙突もなにもないベストポジションです。

090511_2

煙突のある写真で一番のお気に入りです。

090511_3

冬、クリアな写真がもっとも撮れる時期です。雲がない晴れた写真はそれでもなかなか取れません。お気に入りの1枚です。

090511_4

夏、夕焼け。もう少しで赤富士です。止まって欲しい心境でしたが、あっさり通過されてしまうのが残念でした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

今の海賊

ソマリアの海賊問題から (朝礼スピーチネタ)渡辺真人

「食べていけないソマリア漁師」

 今世間を騒がすソマリアの海賊は、食べていけなくなった漁師が操船・案内役であるようです。彼らはお金がなく、優秀な漁具や大きな船がありません。そういった状況で、彼らの漁場を先進国の大型漁船による国際法上禁止されている底引き漁で根こそぎ魚を持って行ってしまう。厳しい現実がソマリアにはあります。食うに困った漁師は船を襲うことを手助けしています。

「イスラム勢力と手を結んだソマリア漁師」

 イスラム勢力と手を結んだといわれるのが2006年。イスラムとソマリア社会は本来敵同士でありましたが、隣国エチオピアがアメリカ軍の支援を受けて侵攻してきたため、敵の敵は味方として同盟したそうです。それまではたいした勢力ではありませんでした。2006年以降、イスラム勢力の力で海賊が組織犯罪化したようです。漁師だった若者がイスラム兵士を海上支援し、イスラムの組織が身代金交渉をする。さらに内乱に伴う武器売買がからみ、ビジネスとなったものが今回の海賊問題です。

「海賊ビジネス」

 過去、地中海世界では奴隷が不要となり、人の売買が不要になったことで、海賊ビジネスが成立しなくなりました。ソマリアでは、武器売買が海賊ビジネスを大きくし、たくさんの海賊を生み出しています。ソマリアでの内戦が続く限り、イスラムやその他の武器商人が漁師に生活の糧を与え続けます。

「就業・経済策から見た港湾整備」

 根本問題は海賊業でしか生きていく方法がないことにあります。ソマリアの港や周辺インフラを整備すれば、若者は正業で食べていけるようになります。港が整備されれば、そこの新しい仕事が出てきて、海賊をする必要がなくなってきます。また、港の整備が終われば、各国海軍が停泊できるようになり、治安も向上し、海賊が出撃するソマリアの港がなくなってしまうでしょう。今の海賊問題は武器売買がなくなるよう、ソマリアのインフラ整備と経済支援がもっとも効果が高い方法と思います。

当面の処置として、各国海軍が広い海で追い払う作業は必要でしょう。が、いたちごっこであり、根本解決は出来ません。海軍経費を経済支援に早く当てることを期待します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

海賊について 

海賊と奴隷の関わり (朝礼スピーチネタ)渡辺真人

「船のエンジン」

 奴隷制度は古くから人類史には存在していました。動力源が出来た18世紀になるまで、西洋の世界では必要な制度であったのです。とくに海賊と奴隷制度は密着した関係にありました。蒸気機関ができるまで、船を動かす力は風を使う帆船方式か、櫂を使う手漕ぎ方式しかありませんでした。当然風に任せていては海賊が出来ません。そのため、過酷な船のエンジンとして、どうしても奴隷制度が必要であったのです。

「18世紀まで白人奴隷もいた」

 前回述べた海賊に攫われた白人たちが船漕をしていたのです。キリスト教圏の心にはこういった歴史がどこかに刻まれていることを知っておく必要があります。アメリカ大陸では黒人奴隷が居たことは現在でも有名なことですが、近世までは白人の奴隷が居たことを知っておく必要はあります。そして動力源の変化で奴隷は不要となりました。

「アメリカの奴隷制度」

 16世紀以降、船の性能が向上し、アメリカやアフリカにいけるようになった時代に、人口が不足していたスペイン領アメリカ大陸に人を連れてくる考えは、自然発生的に出たことと思います。海賊的行為をベースに、多くの黒人がアメリカに渡ったのです。技術の進化により、動力としての人力が不要となるにつれ、人権思想向上し、奴隷制度は順次解消されていったのですが、肌の色が過去を消すことに時間が掛かりました。しかし、今のアメリカ大統領が肌の色の課題を溶かして居ます。

「人々の階級意識」

 現在でも世界中、過去の精神や価値観を引きずっていて階級問題はまだ消えていません。が、情報社会の進展とともに問題が薄れているような気がします。インドの方に聞くところ、カースト制度は形式化しつつあるようです。やがて、白人の奴隷が居たことを多くの人の心から消えていくように、階級意識や差別がなくなることと信じます。

「海賊」

 動力源の技術向上で奴隷の労力が不要になり、奴隷制度がなくなっていったように、海賊をしても収入が上がらなければ、やがて消えていくものではないでしょうか。この点については今度考えを記載したいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

海賊の歴史

海賊のイメージは創られたものが多い (朝礼スピーチネタ)渡辺真人

「ピラータは非公認、コルサロは公認海賊」

 イタリア語でパイレーツをピラータと言い、国の支援を受けていない海賊を言いました。そして主にトルコの支援を受けた公認の海賊をイタリア語でコルサロと言っていました。どうして公認の海賊が居たのか不思議に思うことでしょう。

「公認・非公認問わず盗むものは同じ」

 海賊なので、主な生業(ものを盗む)は同じなのですが、公認海賊コルサロは、トルコ船籍(旗等)を持っていました。通常時は海賊なのですが、国と国の会戦になると、トルコ海軍としてキリスト国家の海軍と戦っていたのです。キリスト教圏を痛めつける海賊の利害とトルコの利害が一致していて互いに手を組んでいました。有名な海賊の頭目の1人はトルコ海軍総司令官として今でもイスタンブールに像まであります。公認海賊はキリスト教圏の海軍と戦えるほど組織化され、大規模でありました。

「海賊が盗むものの中心は地中海沿岸住民」

 海賊は船も襲いましたが、盗む中心のものは人でした。動く船を襲うより、定住しているキリスト教の住民を襲う方が効率が良いのです。組織化された海賊が数千から数万人で海から押し寄せてくるのです。住民は逃げるしか成すすべがありませんでした。そして拉致した人は北アフリカに運んで、男性は船こぎ(船のエンジン)や農業労力として、女性は奴隷として売られていたのです。1000年以上の期間、どんなに少なく見積もっても100万人以上は商品として売買されていたのです。

「地中海の海賊は1856年の「パリ宣言」まで活躍していた」

 1856年の「パリ宣言」まで、地中海には海賊がいた。そして19世紀後半やっと地中海世界から海賊が消えたのです。それまで、営々と人を盗んでいたのです。いまでは観光地となった美しいイタリアの地中海の沿岸は、パリ宣言まで人が住んでいないところが多かったのです。そして、海岸線には砦がたくさん残っていることが海賊対策の象徴です。

「海賊といえば、木造大型帆船に側面大砲?」

 海賊が地中海を荒らしまわった時期は、ローマ帝国が滅び、北アフリカにイスラム教が浸透した紀元700年代から国による近代海軍が整備された1800年代までの1200年間に及ぶ期間です。そして海賊が現れて1000年間は海賊と言えば、手漕ぎのガレー船であって、風を頼りに動く帆船ではありません。帆船が活躍したエリアは1600年以降、大西洋のアメリカ路線にあたる海であって、地中海は手漕ぎのガレー船が主力でありました。よって、映画に出てくる木造大型帆船に側面大砲の船は近世になるまで存在していなかったのです。

「ドクロの海賊マークは映画の世界」

 実際の海賊は沿岸に近づくまで国家公認旗で航行し、目標に近づくと一揆加勢で上陸していました。遠くから海賊と判る行為はなかったのです。イタリアでルネッサンスが花開いたころ、まだまだ、沿岸部では人が連れ去られていた。ドクロの海賊マークは映画の世界と言う事実だけまず、お知らせいたします。

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)
|

« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »