« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »

2009年5月

イノベーション;技術改革と生活の変化

技術改革で消えたもの (朝礼スピーチネタ)渡辺真人

「生活から消えたもの」

 まず音楽では、レコード。とっくに街から消え、続いてCDも消えそうです。音楽はネット配信が主流になり、なんらかの媒体に載せて伝えるものではなくなりつつあります。続いて写真フィルム。ほとんどがデジカメに移り、カメラもデジカメばかりになりました。フィルムはそろそろ消えそうです。広告ではチンドン屋。とうの昔に消え去って、新聞チラシに変わり、そして最近はネットやケータイメールに移りつつあります。

「職場から消えたもの」

 今では全く消えたポケベル。初めて持たされたときのあのうるささとめんどくささが思い出されます。「ピピッ」と鳴るとあわてて公衆電話を探して、会社に電話したものです。その公衆電話もすっかり減りました。災害対策で一部残されていますが、公衆電話自体使っている人を最近見かけません。その次にワープロ。手書きの人間味多い書類が駆逐され始めた時代が懐かしい。今ではパソコンに取って変わられ、ワープロが消えました。

「これから消えると思われるもの」

 たとえば、大排気量のクルマ。この20年で大きく様変わりすると思います。過去乗用車つまりクルマの魅力はよりパワーがあり、スピードがあり、大きいことでした。が、5年前からこの点が変わらなくなった。イノベーションの代表である、先端技術やテクノロジーは変化し続ける必要があり、変わらない技術による大排気量のクルマは消える運命です。

「循環するもの」

 色やデザイン等の流行は今も昔も循環しています。歴史を探せば最先端ファッションが見つかると思います。また、西洋思想では時間軸は過去・現在・未来と真っ直ぐに展開される考えです。しかし、実際にはめぐるものが多い。東洋思想では、時間は大きく2つに分けていて、変化するものを「陰」、不変のもの・循環するものを「陽」と捉えています。陽の循環代表であるファッション等においてはイノベーションは厳しいでしょう。

「不変のもの」

 人が生きること、そのものです。しかし、変わり行くものがなければ、不変のものは成り立ちません。つまり人が生きるために、変化や循環はとても大切です。現代はイノベーションである技術偏重で、変わり行くことばかり重視され、変わらないのもを見る姿勢・視点が失われつつあります。不変の基本である「人が生きること」が大切にされなければ、変わり行く技術は成り立たなくなることを感じています。

「学校から消えたもの」

 二宮金次郎の銅像。二宮尊徳の心を示す薪を背負って本を読む姿が学校から消えました。日本人が江戸時代から培ってきた「徳育」が廃れた象徴でしょう。技術を支える本来の人の在り方は不変であって欲しいものですが、どうやら人の在り方が変わってきていて居ます。これからイノベーションも危うい気がします。

| | コメント (1) | トラックバック (0)
|

エネルギーの変遷による社会の変化

エネルギーと動力源の変化から起こること (朝礼スピーチネタ)渡辺真人

「再生循環エネルギーから石炭」

 人類はつい最近19世紀まで永らく、再生エネルギーで生きてきました。動力は人や家畜の力であり、海上戦闘においては戦艦は手漕ぎ、陸上戦闘は馬だったのです。人類のエネルギー余力は少なくこれ以上大きいものを動かすことが出来なかったのです。19世紀に入り、エネルギー源を石炭にした蒸気機関(外燃機関)が発明されて大きな変化が起こりました。海上では船を蒸気機関で動かし、手漕ぎの戦艦を駆逐したのです。陸上では人類史初の馬より早い乗り物である蒸気機関車が出来ました。この発明でイギリス世界覇権が成立したのです。

「石炭から石油」

 20世紀には、エネルギーの主役が石油に移りました。これに伴い、内燃機関が発明され、蒸気機関と比べ、高出力でコンパクトな動力源が出来ました。海上の戦艦はより大きくなり、陸上では馬に変わって戦車が出来、そして乗用車が売り出されたのです。石炭から石油にエネルギーの主役が移ることに合わせて、イギリスから産油大国のアメリカに世界覇権が移りました。

「石油から再生循環エネルギー」

 現在、太陽光・風力・地熱の再生エネルギーや原子力等循環エネルギーの開発競争が先進国では始まっています。これらのエネルギー源から作られる電気を貯蔵する電池が今後飛躍的に発展します。動力源は内燃機関からモーターに移るでしょう。この物理学技術競争で世界覇権はどうなるか、これから25年程度で答えが出ると思います。

「ガソリンから電池」

 自分の身の回りで大きく変わる例として、クルマが変わると見ています。今のクルマは人1人運ぶために、内燃機関のガソリンエンジン200Kg、それを支える車体500Kg、ガソリンやオイル等の周辺部材で100Kg、その他をまとめて1トンはあリます。これが電池をエネルギー源としてモーターを動かすことで、重量20Kgもあれば、人1人は運べるようになります。贅沢に作っても200Kg程度でしょう。今の若者がクルマに興味が薄いのはこういった変化を本能的に受け止めているからかも知れません。

「内燃機関からモーター」

 当然生活は豊かになると思いますが、最も変わるのが武器です。モーターは酸素を必要としないので、戦艦は皆水中に潜り、戦車は軽くて機動性あるボディスーツやロボットに変わっていくと思います。生活面より、軍事面の変化が大きいでしょう。馬で世界帝国を築いたモンゴル帝国から思いをめぐらしています。今後、戦闘を変えてきた新技術はさらに新しい戦闘・戦争の手法を生み出すと思います。人類は変革の時代に差し掛かっているのです。

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)
|

無知の知

 常識を疑う(朝礼スピーチネタ)渡辺真人

「無知の知」

 自分がいろいろなことをほとんど知らない。ただ、知らないことだけは知っている。これを無知の知と言うようです。私自身、自分が知っていることは、世の中のほんの1部です。

「積分の由来」

 例として、積分の由来を記載します。これを発明した人は本来、惑星や太陽の軌道を計算しようとして、試行錯誤した末に出来た数学の1部です。つい最近、積分が出来てから微分が出来たことを知りました。出来上がった積分を説明するために微分が構築されたそうです。考案者が人に理解させるため、説明手順を反対にし、微分を先に知らしめて、開発が前の積分を後から教える手順で出来ている1例です。私は高校時代、微積が好きしたが、微積の手法を知っただけで、本来の目的は知らずに今日まで居たのです。

「歴史書」

 歴史は、少し考えればわかると思いますが、古い順に順序よく構築されたものではなく、年代が自分自身に近い順に構築し、説明がなされています。歴史学は今説明がなされている史実は、その史実より以前にあった出来事が史実にどう影響したかを考察することに重点があります。そのため、昔の政権が書いた「日本書紀」は現在から紐解いていくと、どうしてもつじつまが合いません。どこかに間違いや恣意(しい;目的を持った改ざん)があります。

「小さな歴史改ざん」

 今自分が常識と思って知っている常識の由来を調べると、恣意的な理由を付けられているものが多く見受けられます。厳しく捉えるならば、小さな歴史改ざんと言えるでしょう。身近な例では、自分たちが子供時代、学校で、お米は消化が悪く、胃の負担が重いので、パンを食べましょう、と。今の子供が聞いたらきっとビックリします。過去、こんなことを常識にされていたのです。これは日本人に小麦粉を食べる習慣を付けさせる目的があったと考えます。また、運動中は水を飲んではいけない。と教育されました。過去の文部省の責任を問いたいものです。

「常識を疑う」

 今身の回りにて常識とされていることは、誰かに教えられた知識です。その知識の出所をはっきりと認識せず、闇雲に信ずるとやがてはその常識を作った目的に誘導されていきます。たとえば、今ある常識、たとえば、「やせることは良い」を疑ってみることをお勧めします。業界や行政の恣意が感じられます。

やせるメリットばかりではなく、やせるデメリットをマスコミにはもっとはっきりと示して欲しいものです。行き過ぎ例かも知れません。が、中世ヨーロッパの常識では太っていることが美であったのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

富士山

新幹線の車窓から

箱根を右に初秋の写真です。冠雪が少し増えたところです。

1_2

夏、早朝の富士山。

2_2

冬の富士。富士川鉄橋上で、新幹線でもっともすばらしい撮影ポイントです。

3_2

冬早朝の富士山。箱根の山が左に少し掛かっているポイントです。

4_4

冬正面の写真です。このあたりは電線ばかりで撮影が困難なポイントです。

5_6

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »