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2009年3月

SONY

「SONY」の今後 (朝礼スピーチネタ)渡辺真人

「創立の目的」

「技術者たちが技術することに喜びを感じ、その社会的使命を自覚して思い切り働ける職場をこしらえる」
「日本再建、文化向上に対する技術面生産面よりの活発なる活動」
「非常に進歩したる技術の国民生活内への即時応用」

創業者の井深氏による設立趣意であります。設立から世界を意識したネーニングを取り入れ、松下電器の東京研究所と松下幸之助氏に曰わられながら、ニューヨークに盛田昭夫氏が単身進出し、成功を収めていったのです。そうしてなにごとにも先進性をもって世界ブランドになった会社です。

「経営理念」

「不当なる儲け主義を廃する」
「あくまで内容の充実、実質的な活動に重点を置く」
「いたずらに規模の拡大を追わない」
「技術上の困難はこれをむしろ歓迎する」
「最も社会的に利用度の高い高級技術製品を対象とする」
「一切の秩序を実力本位、人格主義に置く」
「個人の技能を最大限度に発揮する」

とても共感できるすばらしいものです。トリニトロンやウォークマン時代はこの言葉通りの企業であったと感じます。そしてCDをフィリップス社と世界標準にしたことが最後の輝きとなっています。

「なのに?」

 現在、ブランディングでは、サムソン等の海外ブランドに追われ、テレビでは平面ブラウン管以降は液晶技術に出遅れ、音楽ではipotに抜かれ、ゲームでは任天堂に差をつけられ、画像処理半導体は東芝に売却し、ロボット事業もトヨタに売却しています。

「2人の天才」

 通常、1人の天才が現れれば、100億円企業までは作れます。SONYは創業当時、井深氏・盛田氏の2名の天才が手を組んだことで、1兆円を超える企業が出来たと考えています。同様にホンダでも本田氏と藤沢氏の組み合わせがありました。私は、ホンダは今でも日本トップのベンチャーであると思っています。この2社の差は天才の後を継ぐ人材育成に差が出たのでしょう。

「ものつくりからの乖離が原因?」

 私はSONYがまとまりにくくなったのは「ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント」にあると考えています。コロンビア映画を買収した後、会社方向が定まらなくなった。反対に松下(現パナソニック)も同じ道をたどり、映画会社を買収し、転びそうになったが、早期に売却し、事なきを得たと思います。ものを創る人と映画を創る人は考えが相容れないことが原因では。SONYはものつくりに再集約をし、ものつくりに集中することを提案したい。そしていつか、人の意識を人に直接移す技術確立をぜひ目指して欲しいものです。

 

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法の精神

法の精神は徹底した加害者保護にある  (朝礼スピーチネタ)渡辺真人

「自由・平等・博愛」

 「自由・平等・博愛」というのは、1789年7月14日のバスチーユ襲撃を契機として起こったフランス革命のスローガンです。フランス革命時代に「自由・平等・博愛」が無かったから起こったのです。同時代にイギリスで起こった「人権」という言葉に近いものです。

「バスチーユの政治犯」

 当時、国王の権力は、国王の先祖から代々、現王がたった1人の選挙人となり、次の王に神との契約に沿って全権を譲る、神から授けられた王権神授を基礎とした宗教的権威をもって国を治めていました。王は、自分の王権を守るために、この制度の矛盾を説く言動要注意人物を捕まえては、拷問に掛けて、有らぬ罪を被せ、その罪の加害者(=犯罪人)としてバスチーユに送り込んでいました。それが政治犯です。この人たちをバスチーユの監獄から救うことが革命当初の目的であったのです。

「近代法精神の成り立ち」

 このようにフランス革命によって出来た近代法の精神は、時の権力から有らぬ罪を被せられ、有罪にされることを最も恐れたもので、加害者人権を徹底的に守る考えで成立しています。権力者による拷問等で自白を強要されない権利、つまりいかなる人も個人の人権に絶対触ることが出来ぬように近代法は出来ています。前述のとおり、当時もっとも人々が恐れていたことは拷問等で自白強要されることであったためです。法の精神は時の権力者から人権を守る、徹底した加害者保護にあるのです。そして今この時も1部の世界では政府による加害者つくりは起こっています。たとえば、 今月28日にはチベット開放50周年です。今朝もチベット僧の騒乱報道がありました。そのため、加害者保護精神は今も重要なものです。

「被害者保護」

 今の日本においてこの加害者保護の法精神は引き継がれていて、たとえオウム事件や千種の通り魔事件の凶悪殺人犯であっても完全に人権は保護・保障をされています。反対に被害者に対する保護概念は法の精神にはもともとないので、現在の犯罪において、被害者は報道被害含め保護されていない状況の方が問題となってきています。このため、今後、被害者救済の運動が重要になると思います。

「時代を見据えた被害者保護指針つくり」

 今後、世界で最も加害者保護が成されている日本から被害者に対する保護精神を世界に打ち出していくべきと思います。政府や権力構造を使うことなく、日本人民の心として、被害者の保護の法精神を打ち出し、世界の規範となりたいものです。

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昔男は強かった?

昔女性は弱かった? (朝礼スピーチネタ)

「アダムの肋骨から創られたイブ」

 キリスト教聖書の創世記において神は、「人間が一人だけではよくない」と考え、アダムと暮らすにふさわしい人間を創ることにしました。そして神はアダムの肋骨を一本取って、その肋骨からイブを作ったとされています。西洋ではこの考えが社会を支配し、女性は男性の部分に過ぎないと長年受け止められていました。現在でもまだその所為は生きています。たとえば結婚式の入場おいて今だに、女性所有者を父から夫に移す儀式を実施しているのです。今の日本女性はこの意味を本当に知った上で、儀式をやっているのでしょうか。

「遺伝子がわかる以前の世界常識」

 遺伝子学で、女性の遺伝子が子供に半分与えられることが近年判るまで、多くの世界では、女性なる生命の畑に男性の種を植えて人間が生まれると考えられていました。そのため戦前までの日本でもこの思想の影響を持った男尊女卑は色濃く残っていて、戦後新憲法になるまで、財産相続権は男性が優先的に持ちえる権利となっていました。今男性を優位にするものは失われてきています。

「遺伝子学で判ったこと」

 近年遺伝子研究が進む中、遺伝は男女半々を引き継ぐことが判明しただけではなく、体質や代謝に大きな影響を持つミトコンドリアは女性からしか引き継がないことが判っています。つまり、遺伝においては女性優位なのです。さらに「Y遺伝子(男性決定遺伝子)」は崩壊寸前にあって、後500万年ほどで世界から男が居なくなる学説まで出始めました。500万年後、人類はどうなるでしょうか。遺伝子世界では女性は強いと言えます。

「男尊女卑、法的な差別」

 現在、世界の憲法で男女平等を記載しているのは日本のみです。世界的には歴然とした男女差別の法律がたくさんあります。イスラムの世界では男女を厳格に区別し、女性の行動様式に制限を設けています。なお、以前聞いた話で、イスラムの女性の考えでは、戒律により性衝動に弱い男を犯罪に走らせないすばらしい神の教えとなっているようです。

 科学的な見地だけではなく、法的な地位も日本以外の国々でも徐々に男女の権利が平等になってきています。男尊女卑が厳しく映るイスラム社会でも確実に変化が出てきています。

「生命力と精神力の差」

 この生命力と精神力の分野において、私見では男性は女性に絶対勝てません。生物的に女性優位です。男性の優位性は神が弱い男に与えたもうた腕力だけ?です。が、現代日本ではこれも怪しい。か弱き男性はどこに拠り所を見出して生きていくのでしょう。若い男性をもっと強く育成すべきです。男性よ、もっとタフ(精神強者)になれ。

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企業の寿命・その2;本当に寿命は30年か。

企業の寿命について  (朝礼スピーチネタ例)渡辺真人

「30年前になかった企業」

 今から25年前、マイクロソフトやグーグルは存在しなかった。コンピュータの技術革新と米軍が開発し市場公開したインターネットの登場で、巨大な産業が「0」から興ったのです。日経ビジネス1983年9月19日号の出た当時、誰も想定できなかった企業群が新たな世界を動かしています。

「350年続いている守隨本店」

 名古屋市中川区にある創業明暦4年(1658年)の株式会社守隨本店は、主にロードメーター、トラックスケール、ロードセルなどの秤(はかり)を取扱ってます。創業当時から幕府ご用達として、業務を続けた天秤があり、その創業から350年を経た現在も「はかり」一筋です。現在はフォークリフトスケールと名づけた商品が当っているそうです。

http://www.shuzui-scales.co.jp/

このしぶとさには心から尊敬の念を抱きます。企業の寿命は決して短くはありません。

「下駄(げた)産業」

 日本には現在20社ほどの下駄の生産企業があるそうです。江戸時代には7,000社?を超えて存在したようですが、明治維新後、靴が生活の主流となっていく過程で、順次淘汰され、今は20社程度となりました。現在は生活必需品から工芸品の領域に価値が移り、この20社は大変安定し儲かっているそうです。どんな産業でも淘汰の末に残ったものは強いと感じます。

「これからの30年」

 エネルギーの視点から考えます。石炭から石油と移ってきたエネルギーは、今後技術革新によるエネルギーに主軸が移ると見ます。原子力、核融合、これを保管する2次電池。そして自然循環エネルギーの活用による太陽光、地熱、波、風力が出てくるでしょう。このため、動力系は石炭の蒸気機関、石油の内燃機関から、モータ等に移ると思います。このモーターによるパワーを使った人間生活アシストとしてのロボットがこれからの主役になるのではないでしょうか。企業の業務内容は時々刻々と移っていくものであり、社名はこれからも残っていく。これが企業の姿と思います。

 現在、コンピュータは、通信や表計算ソフトの端末機器となっていますが、今後は本来の使い方に回帰してくると見ています。この分野において、私は個人データを生かす新しい産業を興すことを目指しています。

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会社の寿命;企業の繁栄は、たかだか30年(日経ビジネス1983年9月19日号より)

今回は27年前の日経ビジネス記事をそのまま流用します。
2年前にも全く同じものを出しました。

現在に置き換えても、なにも変わらないようです。量が多いので、コメントは次にします。

企業の繁栄は、たかだか30年   企業も寿命がある

1983年9月19日号より

 日本経済百年の、驚異の発展、成長を推進してきたものは企業のバイタリティー。明治以来、産業構造の激しい変化の中で、時代を代表する有力企業の顔ぶれは目まぐるしく移り変わったが、没落していく企業がある一方、それらに代わって、たくましい企業家精神を受け継いだ新興企業群が台頭した。

 本誌調査が明らかにした企業の寿命――1企業が繁栄を謳歌できる期間――は、平均わずか30年。経営者が企業家精神を失う時、企業は、たちまち衰亡の途を転落し始める。私利私欲に走らずに、企業家としての情熱を持ち続け、透徹した眼で先を見通して、ハラのすわった決断のできる経営者だけが、企業を成長させ、その生命を永らえさせることができるのだ。

 今、日本は“峠の時代”。失われた企業家精神をとり戻し、ニッポン病を克服して、未来への新たな飛躍を実現するために、われわれは今、先人たちの栄枯盛衰の歴史に残された教訓を率直に受けとめねばならない。

(須藤 公明、大河原 暢彦、杉山 栄一、城田 健二郎)

 「世に名高き小野組は當11月20日に戸を閉めたり…。御一新の初より三ッ井組と共に朝廷に對し會計向きの御用を勤め日本国中に於て三井、小野と称せられ世上より見る時は萬代不易とも云ふべき程の豪家なるが、今日に至りて俄に戸を鎖ざし…」。

豪商の破綻で始まる近代産業史

 明治7年11月23日付の東京日々新聞の1面を飾った記事である。維新の希望に燃えて、文明開化の道を歩み始めたばかりの日本国中があっと驚いた豪商小野組の倒産。大蔵省を初め、3府60県のうちの5分の3の出納御用を一手に引き受け、日本初の株式会社の設立にも参画した小野組の破綻は、波乱万丈の近代日本産業史の幕開けにふさわしい、象徴的な出来事であった。その驚きを記事は率直に伝えている。

 誰もがその未来永劫を信じていた企業が、突如、破局を迎える――。小野組の悲劇は、100年の歴史を通じて再び三たび繰り返される。

 「雁度寒潭雁去而潭不留影」(かりかんたんをわたり、かりさってたんにかげをとどめず)。

 金沢市金石町にある大野湊神社にこんな碑文が残されている。6年前に消滅した総合商社安宅産業の創始者、安宅弥吉を祀った石碑である。栄枯盛衰の波間に浮かんで消えた経営者の哀感が胸を打つ。

 人間は生まれ落ちた時から死への旅を始める。企業もまた、創業と同時に、いつの日か衰亡の危機に直面する宿命を負わされているのだ。そして、その「いつの日か」は、決して遠い未来の話ではない。

 これを実証したのが、本誌が中村青志・東京経済大学助教授の協力を得てまとめた「日本のトップ企業100社」の過去100年間の変遷だ。この調査は明治29年と44年を総資産額で、大正12年、昭和8年、18年、25年、35年、47年、57年を売上高(収入)で、それぞれ上位100社を算出したもの。その結果は、果してどうでたか。上記9期間、連続して上位100社に名を連ねることができたのは、わずかに1社、王子製紙だけ。企業は永遠に繁栄を続けられないことを、この事実が端的に物語っている。では、一体企業が繁栄を維持できる期間はどの程度か。これを算出するため、今度は規準を統一し、総資産額だけで明治29年から昭和57年まで、ほぼ10年おきに10期間の上位100社の推移を調べてみた。

 もし、「有力企業」の顔ぶれが、概ね固定されているものとすれば、10期間にランキングに登場した企業の合計数も、100社をそう大幅に上回ることはないはずである。ところが、実際に、この上位100社ランキングに名を連ねた企業は、合計413社にものぼった。これは一体、何を意味するだろうか。単純に計算すれば、413社の企業が平均して2.5回、100社ランキングに名を連ねたことになる。とすれば、企業が繁栄をきわめ、優良企業グループ入りできる期間は平均2.5回、つまり1期10年として30年足らず、ということだ。

何もしないと淘汰される

 「企業にも当然寿命がある。組織も技術も、成長期から、やがて爛熟期を迎える。精練所の場合なら、このライフサイクルは30年足らずに過ぎない、というのが私の実感だ」(永野健・三菱金属社長)。

 「企業が成長段階から成熟、そして衰退期を迎えるライフサイクルは、何もせずに放っておく限り、30年程度に過ぎない――」(小林宏治・日本電気会長)。こうした経営者の体験にもとずく実感を、図らずもこの調査は的確に裏付けている。

 合計413社のうち、1期だけランク入りした企業は194社にもなる。2期のみが73社、3期のみが54社…。全体の8割近い企業が、ランク圏外への脱落、吸収合併、あるいは倒産で、3期以内でその名を消しているのである(下図参照)。この点からもまた、企業が繁栄のピークを維持できるのは、たかだか30年程度ということができる。

明治29年-昭和57年 総資産額による上位100社 登場企業数は延べ413社

 ちなみに、明治29年の第1回ランキングで上位10社に進出した企業のその後の足どりを追ってみると、実に9社が設立後わずか平均27年で吸収合併などにより創業当初の名前を消滅させている。

100年間栄えた企業は、わずか3社

 最近、数年間をみても、国税庁の調べによると、新たに設立される法人企業数は、ざっと年間10万件。だが、その半面で年間8万社もが消滅を余儀なくされているという。企業は決して永遠の存在ではないのである。

 読者諸兄のなかにも、20~30年前、当時の花形産業に就職した秀才の同期生たちが、今、構造不況の業界で、あるいは子会社に転出し、あるいは肩たたきにあって退職していったケースを身近に知っている方が少なくないはずである。企業の栄枯盛衰は、予想のできない話ではないのである。

 では、有為転変は避けられないとしても、企業は本当に生き延びられないものだろうか。ここでもう一度、100社ランキングに戻ってみよう。明治29年の第1回ランクから最新の昭和57年まで、たった1社とはいえ、王子製紙は連続ランク入りを果した。また、総資産額でみれば、同社に鐘紡と小野田セメントの2社も一貫して名を連ねているのだ。これら企業は、いずれも必死の経営努力で今日まで生き永らえてきた。生き方によっては、繁栄のピークを他社よりもずっと永く維持できるという証明である。では一体、その秘策は何か。

巨身もて余した恐竜になるか

 女王バチを中心としたミツバチの集団組織は、仲間が増え過ぎると、分封して新たな女王をいただき、生き延びるという。反面、やたら巨大化した白亜紀の恐竜は、環境変化に対応し切れず、死滅した。企業を生命体にたとえるなら、こうした自然界の哲理は当然、産業界にも厳しく適用されるはずである。企業が生き延びるための条件、そして歴史に見る失敗の要因を考えてみよう。

 明治29、44両年までは総資産で、その後は売上高で見た鉱工業100社100年のランキング。そこに浮かび上がったのは目まぐるしい顔ぶれの入れ替わり、産業構造の激烈な地殻変動だ。

 戦前は労働集約の軽工葉から資本集約の重工菓へ、戦後は素材産業から組み立て産業へと主役が交代した。一旦衰退したところが再び昔日の勢いを取り戻したことはない。

 ローマ帝国以来、国家の歴史は栄枯盛衰の歴史であった。国家が人間の組織ならば、企業もまた人間の組織。個個の企業の興隆、衰亡はページ後半の表(リンク)を見て頂くとして、明治以来の、日本の有力100社(総資産ランキング)の業種構成を分類、その変化をたどれば、下図のようになった。当初57社を数えた繊維がいまや4社に減少、電気、機械というメカトロ産業は1社から19社へと増加している。

業種別・100年の栄枯盛衰(総資産ランキング上位100社の内訳)

繊維から造船へ、テイクオフの軌跡

 年次ごとにたどれば、企業勃興期の明治29年は、繊維57社、水産食品10社で、衣と食で全体の3分の2を占めた。この後に続くものは鉱業7社、窯業7社で、国内の資源を採掘、加工するもの。これら4業種で81社に上る。ちなみに、この100社の本社所在地を調べたところ、紡績が集中した大阪が31社と東京の18社を上回っていると同時に岡山、兵庫、京都も5社ずつを数えた。

 日露戦争後の明治44年になると、繊維が31社とほぼ半減した。中小紡績が、鐘淵紡績、三重紡績などに合併されたためで、ここに、産業革命を終了した日本資本主義が独占段階への移行を開始したことが読み取れよう。増加したのは食品で、とりわけ大日本製糖、台湾製糖などは、紡績大手と肩を並べる総資産になった。現在、構造不況にあえぐ業種の“今や昔”である。

 第一次大戦の軍需と貿易を引き金に、重工業が躍進した。大正8年に鉄鋼10社、化学10社、造船を中心とする輸送機械6社、電気機械4社となった。川崎造船所と三菱造船がランキングの1、2位に顔を並べたことが、その典型といえる。だが、造船と鉄鋼は海運不況、軍縮条約の影響で昭和の初期から後退、半面、肥料や染料などを中心に化学が躍進、昭和11年には15社にのぼった。

 そして、戦後。昭和30年は繊維が16社で業種別トップだが、以後、40年には東洋レーヨンと帝人が鐘淵紡績を追い抜くという変化を伴いながら、100社中でのシェアは低下の一途をたどる。また、輸送機械は、30年が14社、57年が12社と数の上では微減だが、仔細にみれば造船が減少、自動車が増加した。化学は、30年から41年では増加したが、以後、減少傾向にある。

めまぐるしい戦後の消長

 戦後、急速に勢力を拡大したものは、国土建設と住宅産業の発達による土木建設、そして家電製品と情報産業の興隆による電気機械である。前者のプレハブという技術革新は一段落したが、後者のME(マイクロエレクトロニクス)革命は依然進行中。当分、この波は続くようにみえる。そして、『軽薄短小』の次に来る波をとらえる産業は、一体なんであろうか。

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