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歴史とは何か

名は実の賓なり(老荘思想) (朝礼スピーチネタ)

「言葉は現実にとって、お客に過ぎない」
名は実の賓なり。は壮士の言葉です。歴史とは、人間の住む世界の時間軸と空間軸の両方に乗った、かつ個人が経験できる範囲を超えた時間や場所の出来事を言葉で説明・証明したものです。ある場所・時間で発生した出来事の記録やデータを、誰かが主観的にその出来事を文章にして、意味をつけたとき記録が歴史になります。よって基本として文字・言葉のない世界では歴史はありません。つまり
言葉である歴史は、実際に起こった出来事にとって、装飾された表現に過ぎないのです。

「歴史は誰かの意志を持って書かれた主観的史料」
誰かの意志を持って書かれた以上、史料の信頼度は当然ピンキリであります。残っている史料が大嘘をついて書いていることも十分あります。歴史は勝者の記録であり、特に中国史は皇帝の都合で書かれたものに過ぎません。よって皇帝が変われば焚書も発生しました。「歴史的事実」は史料を精査し、論理矛盾がなく、史実を書いたものであります。そのため、本当に登場人物が存在したか、証明出来ないことが沢山あるのです。

「聖徳太子は存在しない?」
たとえば日本書紀に登場し、大変有名な推古天皇と聖徳太子は当時の中国史には存在が出来ない話となっています。中国正史「隋書・東夷列伝」では、当時の日本国王は男であり、女帝の推古天皇には当てはまりません。また隋の皇帝に「お手紙」を送った人物像と聖徳太子が一致しないのです。これには諸処学説があり、聖徳太子の存在確定できていないようです。このように日本国人の皆が疑わないような史料でも証明出来ないことが存在しています。

「隣国問題」
異なる文明は異なる歴史を残し、文明ごとに「正しい歴史」を持っています。よって、文明ごとに持つ「正しい歴史」は矛盾することが宿命です。特に力で国民を統治する国家であった中国歴代王朝は他国歴史に対して自己都合の良い口出しをしたと思われるのです。その上、実際にどんな国史でも自国の歴史は自己弁護が強いものです。そのため日本の隣国である、中国や韓国とは歴史問題で折り合うことはありませんし、合わせる必要もないのです。歴史問題は相手にしないことです。つまり他国の正史に無関心でいればある程度うまく行くと思います。

「歴史とは」
文字があることで歴史の必要条件が出来ました。文字を持つ文明が育つことが歴史の十分条件です。記録をまとめ史料を統一し記述するために広いエリアでの同一言語が必要です。この条件がそろった古代ギリシア時代、ヘロドトスの書「ヒストロアイ」は「調べそして判明したこと」を記したのです。これがヒストリーの始まりです。そして歴史とは、今ある事象を正確に記載・記録したことが、自分が居ない将来になって、史料として生かされることなのです。

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コメント

最近、歴史にとらわれる恐ろしさもまた感じるようになりました。
自らの過去と今だけから明日を推し量ることはできないものでしょうか。
それもまた人間らしい営みでは。

投稿: 新納康仁 | 2008.07.27 13:27

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