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スペイン・中世の街Toledo(トレド)本編その2:文化考察

スペイン・中世の街Toledo(トレド)本編その2:文化考察(朝礼スピーチネタ)

 文化では12世紀以降トレドでの翻訳がとても有名です。ギリシア・ローマの文献がキリスト教圏では散逸し、法律や学問体系が崩壊していましたが、当時イスラム圏にギリシア・ローマの文献がアラビア語として残っていました。トレドではイスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒が同居していた街であったので、皆で共同しラテン語に翻訳したのです。翻訳した文献は12世紀以降、ヨーロッパのルネサンスに大きな刺激を与えました。この成果により、スペインはヨーロパでの文化の中心になっていきました。

 絵画では15世紀ギリシア人の画家エル・グレコがトレドに住み、多くの作品を残しています。
以下他の文献より
「エル・グレコ(El Greco, 1541年 - 1614年4月7日)は、現ギリシャ領のクレタ島出身の画家。本名はドメニコス・テオトコプーロスで、一般に知られるエル・グレコの名はスペイン語で「ギリシャ人」を意味する通称である。彼の宗教画はキリスト教布教に多いに役立った。よくも悪くのユダヤ・アラブの文化はスペインから駆逐されていった手助けとなった。

当時ヴェネツィア共和国の支配下にあったクレタ島で初めイコンを学び、のちにイタリアのヴェネツィア、ローマに渡ってティツィアーノに師事し、ヴェネツィア派絵画を学んだ。1577年、36歳でスペインのトレドに渡り、没するまでスペインで宮廷画家として活躍した。

エル・グレコの絵画はマニエリスム、バロック様式に分類される。全体的に暗い画面、縦に長く伸びた構図、複雑なポーズを取る人体などが特徴的で、彼の死後は長らく高く評価されなかったが19世紀に再評価を受け、パブロ・ピカソやジャクソン・ポロックなど20世紀の芸術家にも影響を与えたという。1614年に没するまで数々の傑作を残した。

19世紀以降にエル・グレコは重要な画家として再発見され、現在ではトレドとエル・グレコは結び付けられて語られるようになった。」

少々ピンボケですが、トレド美術館にあるグレコの部屋での有名な絵画です。


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 文学では有名な「ドン・キホーテ」作者セルバンテスが1571年のレパントの海戦に参戦していました。セルバンテスはレパントの海戦で左腕が不自由になった後も従軍し、4年後スペイン帰還途中、海賊に襲われ捕虜となり、アルジェでタリ・マミという人物に買われました。このときフェリペ二世の異母弟ドン・ファン・デ・アウストゥリアからフェリペ二世への推薦状を持っていたため、巨額の身代金を課され、5年間の奴隷生活を送りました。そしてキリスト教の慈善団体によって危機一髪で身請けされスペインに戻りました。
 1585年に父親がなくなった後、スペイン無敵艦隊の食料調達係として、食料を徴発するが、教会から強引に徴発し続けたため投獄され、職を失いました。その後も徴税吏の仕事に就いていましたが、税金を預けた銀行が破産、負債として負うこととなり、税金が払えず再度投獄されたのです。セルバンテスは「ドン・キホーテ」内で、「ドン・キホーテ」は投獄中の構想と軽く記載しています。1616年、本当に波瀾に満ちた人生を終えています。

 この巨匠2名が世を去ったのち、多様性を失なったトレドは文化的に穏やかな衰退を迎え現在に至っているようです。


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