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2006年9月

アメリカ合衆国について;娯楽の殿堂ラスベガス

アメリカ合衆国について;娯楽の殿堂ラスベガス

ネバタ砂漠の真ん中にあるラスベガスはもともと砂漠の中のオアシスであり、1820年代にソルトレイクシティからカリフォルニアを目指すモルモン教徒の人たちがこのオアシスを見つけ、1840年代のゴールドラッシュ時代には給水地として人が増えたそうです。1930年代ニューディール政策によって、近郊にフーバーダムが建設されることとなり、建設関係者関係者が多く定住し始めました。そして1946年、有名なフラミンゴホテルが建設され、カジノの街として全米で有名になりました。
1980年代より、テーマホテルが建設され初め、かの有名な「ルクソールホテル」が出来ました。このホテルのコンセプトは部屋に落ち着かせないで外で「遊ばせる」こと。それゆえ、部屋は落ち着かない色使いと配置を工夫し、部屋に長く滞在出来ない所です。また、低コストで建設したことでも有名で、ピラミッド型が安く建てられることから、エジプトを題材にしたそうです。入り口のスフィンクスも当初は発泡スチロール製だったそうです。現在、ピラミッド館は使い勝手が悪いことで有名?らしい。なにせ居心地が悪い。
その後、ハードロックホテル、パリス、トレジャアイランド、ニューヨークニューヨーク等々。まるでディズニランドのようです。おまけにアラジンはあっけなく倒産。新しいところで、イタリアのイメージのベラージオ、ベネシアン。とどまるところを知りません。

1軒で6万人泊まれるホテル設備だけではなく、付帯サービスがまた素晴らしい。
ラスベガスには結婚式のみを行う教会が沢山存在し、日本の結婚式場の大型版がここにあります。コンベンションがとても盛んであり、年中数万人規模でイベント開催されています。E3などのビジネスコンベンションは一見の価値があります。各ホテル屋内外で有償無償のアトラクションが行われています。たとえば、トレジャーアイランドの海賊船はまるでデイズニーランドのアトラクションです。また、屋内アトラクションで、私の1番のお勧めはベラッジオの「オーシアター」。クラシックバレイ、芸術劇、コント劇、シンクロナイズドスイミングに水中ショー。これが1つになっています。その構成や内容はここでは述べません。機会を持って見てください。見事な構成です。目を向ければ、いつもあちこちでカジノ集客のショーが開かれています。さらに買い物天国。その上、法人税無税でデラウェア州と競うペーパーカンパニーの街でもあるのです。心引くソフトウェアでいっぱいなのです。

朝礼スピーチ;日本にも1つ、目的を絞った街があると、韓国の「ウォーカヒル」に行く必要がなくなり、経済特区効果も十分にあると考えます。ラスベガスを創ったのはそこに住む人の思いです。皆でこういった街つくりを日本で始めてみませんか。

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アメリカ合衆国について;ニューヨークのメトロポリタンミュージアムは文化の殿堂

アメリカ合衆国について;ニューヨークのメトロポリタンミュージアムは文化の殿堂

Img_0038 ニューヨークのセントラルパーク一角にあるメトロポリタンミュージアムはすばらしいところです。まず、美術品・考古品の展示量がとても多い。そして質が高いのです。そして当然触る人はいませんが、触る気があればタッチできる環境になっています。

時代を追ってみていくとまず、画材の変化が面白い。特に昔は色の画材が高かったそうです。キリスト教会の初期は金色(本物のゴールド)より、「コバルト=青色」の方が高い色であったので、聖人君子は青い服を描かれています。
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地域によっても画材の価値や値段が異なるため、地域によって色調が異なります。スペイン画では黒(この地方で黒い石材が豊富だったらしい)がふんだんに使われ、絵が黒い感じです。コバルトの生産地であった東アジア地域は青が多用されています。色の基は石材が多いように感じられました。

そして画材が急に安くなった時代に現れたのがゴッホ達と聞かされました。ゴッホの実物を30センチぐらいでみると絵の具のチューブからそのまま色をひねり出して乗せてあるようなイメージです。
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画法も変化が見られ、 ローマ時代は10−15メートル離れたところから指揮官がたくさんの人を使って描かれた絵が多く、絵の視点間距離が遠いのです。

光を捉え始めた傑作がレンブラントであり、この時代は写真が無かったため、いかに正確に人を写すことがもっとも重視されています。
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遠近法はルネッサンス時代に急激に利用され始めました。モネは遠くで見ると絵に見えますが、1メートルぐらいに行くと何が描いてあるかわからない絵が多いです。ジョークで教えられたことは「君はまるでモネの絵のようだ。」つまり、遠目は綺麗だが、近目ではよくわからない、綺麗ではない。女性に言ってはいけない言葉だそうです。視点に目をつけて、右目と左目の視点を変えて描いたのがセザンヌ、女性を20センチぐらいでみて描いたのが、後年のピカソ。人の顔を20センチぐらいでみるとあんな感じに見えることが判明して驚きました。近年は光を利用した方が増えているそうですが、そういった絵はMomaに多いそうです。ディフォルメを世界に知らしめたのが「浮世絵」です。葛飾北斎、歌川広重などが多数ありました。恥ずかしながら、日本人として初めて知ったことは同じ構図で色違いの版があることでした。この浮世絵の影響は当時のヨーロッパでは相当すさまじいインパクトがあり、写実主義が衰退したそうです。

武具の部屋では「源義経」の鎧が展示されていました。  
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日本の国宝に値する物がNYCにあるのは残念で、浮世絵とあわせ、ぜひ返却を望むところです。

展示物で変わったところでは、実物のヴェルサイユ宮殿の部屋があり、西洋がなぜ鏡の文化であるのか、体感できました。ロウソクの照明で踊るには鏡がどうしても必要であったと考えています。とても書ききれるものではないので、百聞は一見にしかず。ぜひ1度は行く価値があります。 そこでは近所の小学生たちがあちらこちらで寝転がりながら、絵の模写をしています。歴史の短いアメリカ合衆国はメトロポリタンミュージアムにて文化への憧れを具現化していると思います。



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アメリカ合衆国について;ボストン・古き伝統を大切にする街

アメリカ合衆国について;ボストン・古き伝統を大切にする街

アメリカ合衆国のスタートはボストンにあると思います。1600年のころ、イギリスから渡ってきた人たちが東海岸のこの辺りに到着したのです。ボストンティーパーティ事件にて、英国からの独立の舞台になったところです。

市の中心ステートメントハウスの前にはパブリックパークがあり、このあたりを中心にして、古い町並みが広がっています。夜間照明用の「ガス灯」がたくさん見受けられ、情緒ある石造り中心の落ち着いた街です。古い町並みを残すため、中心の住宅は開発制限がかかっていて、市民は窓1つ交換出来ないところでした。姉妹都市は京都と聞いて納得しました。京都より、生活レベルでの町並み保存に熱心と感じます。200年前の雰囲気をそのまま残していると思います。看板やネオンは当然禁止(東海岸は規制があります)。ただし現在、街の中を走る高速道路を地下に付け替える工事をやっていて工事だらけといったイメージを受けます。市民の方は総工費8兆円にもなる工事には疑問を持ちながらも、高速跡地が公園になることを楽しみにしているようです。
ダウンタウンに目を向けますと、クインシーマーケット(ファニエルホール)が観光の中心で、若い日本の女性はまとまって買い物をしています。古い町並みの表参道と言った感じでしょう。
チャールズリバー沿いを歩くとアメリカの北部東海岸の特色を肌で感じます。特に日本では見慣れない風景として川沿いに立派な家があるのです。水面と同じ高さに見えるぐらい平然と川沿いに佇んでいます。日本ならば当然堤防があり、堤防の外に家が密集してそこに人が住んでいるのですが、そんな雰囲気はありません。川に堤防があまりないのです。訳を聞けば、何百年も川が氾濫したことがないと言ってます。川が平らな広い平野をゆっくりと流れています。事実、友人の自宅も川のすぐ横に建ててあり、ボートが沢山自宅横につないであります。敷地は広大で、隣の家でも車かボートで行く生活でした。郊外に向うと自宅の敷地で馬を飼う風情が見受けられ、豊かさを実感できます。ついでに地震は記録によると800年前にボストンに来ていて同じ800年を経過して起こった神戸の地震は人事ではないと友人は言ってました。しかし、全般的に災害に対して暢気な雰囲気を感じる街です。MITやハーバードといった有名大学の智と歴史を持つ大人の街と言えるでしょう。

朝礼スピーチネタとして、

アメリカ東海岸の北部エリアには川の堤防があまりないのがとても印象に残ります。ポトマック川やハドソン川にもこれといった堤防はありません。

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朝礼スピーチネタ;911テロの考察その3

911テロ(同時多発テロ)の考察;5年前の米国に関する記述その3

5年前の9月11日、日本に戻ってきて、その日の夜9時過ぎに三井物産のOBの方たちにアメリカの近況やペンタゴン訪問の報告をしていました。そのとき、彼らに三井物産から緊急電話が入ってきたのです。そこで至急テレビを見るように言われました。ちょうどその時間に、911テロが発生したのです。驚くべきタイミングでした。今回掲載部分は少しになりましたが、連載してきたその当時の文章の続きをここに提示します。

■この文章を書いた翌日にアメリカの同時多発テロがくしくも起こった。「誇り」と「リスク」は隣り合わせであることを突きつけられた。一週間前の同日、同一の場所ペンタゴンにいた。生きていく「リスク」を強く感じている。少々唐突であるが、キリストの父であり、嵐の神である「エホバ」は生きることに厳しい。その考えを信条にしている米国は傷ついた「誇り」をどのように戻していくか。

米国にキリストの「やさしさ」を期待し、私はこの成り行きを見守る。

以上の内容にて当時ある出版物に投稿、掲載いたしました。かなり問い合わせを受け、話もさせて頂きました。

最後の言葉にて期待していたシナリオに残念ながら成りませんでした。最後の言葉「キリストのやさしさ」はなく、米国は妥協せず今日に至っています。1700年前のササン朝ペルシャ(古代イラン)と古代ローマ帝国との戦いの再現がなきことを心から祈って居ます。ローマ皇帝コモディスから始まった「パルティア;古代イラク」つぶしがやがてローマ帝国自身を滅ぼして行く歴史を繰り返すのでしょうか?

この機会を持ってアメリカについて書いてみようとおもいます。

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朝礼スピーチネタ;911テロの考察その2

911テロ(同時多発テロ)の考察;5年前の米国に関する記述その2

前回の続きの記述です。1951年、55年前の9月8日、日本が占領下より開放され、国際社会に戻れる条約が締結されました。そして執行日の52年4月28日に国際社会に独立国に戻れました。私は本日から5年前、日米講和条約締結50周年を迎えたその日、サンフランシスコにいました。この記述はいまから5年前の出来事になります。

 2001年9月8日は日米講和条約締結50周年である。日本が戦後の独立国として、スタートした記念日である。今、偶然にもその場にいる。50年前に再度独立国として、誇りを持つことが出来た日本は今、その「誇り」を国民に感じさせる力が減っている。この原因は、なにであろうか?個々の日本人にあるのではないだろうか?自分の答えを求めた。自分自身が現在、アイデンティティを減らしていることが原因である。私は国という組織に自己の意識まで、委ねている甘えを感じる。人が生きていくストレスが日本ではオブラートに包まれ優しくなっている。

 社会は安全を必要以上に重視して無駄なコストを使っている。日本にいると、その引き換えに「誇り」は抑えられている気がする。米国は確かに生きていくストレスを感じる。リスクが日本より、かなり強い。その分、自分のことは自分で情報を集め、分析し、自信を持って生きている。自分の判断で生きていく、そういった感覚が「誇り」を創る。「依存、依頼」の精神に「誇り」や人への「やさしさ」は持ち得まい。

 自信を持って人まかせにせず、自分で判断する。自分で生きる意思を日本人個々が持つ。生きることにはいつも「リスク」があり、常に隣り合わせにいる。そして、それらを理解した上で、自分が所属する国である日本を一人ひとりが少しづつ良くして行く。 それが21世紀に向かう日本人が誇りを取り戻す条件と考える。まず、自分から始める。そんな結論を今、持っている。

次回は9月11日911テロの発生した日に連載いたします。

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朝礼スピーチネタ;911テロの考察

911テロの考察;5年前の米国に関する記述その1

私は2001年9月6,7日の2日に亘り、参謀議長リチャードマイヤーズ氏のご招待を受け、ペンタゴンに訪問してきました。その記述を3回続けて連載します。この記事は当時、出版社から訪問時の記述を依頼されたもので、この3回は当時のまま、掲載された内容を開示いたします。

米国からの考察/日本人の誇りを取り戻そう      

       ビーシープロダクツ株式会社 

       代表取締役  渡邊 真人 

 生まれて初めて、ペンタゴンに行ってきた。

1773年の陸軍創設からの歴史が廊下に整然と並んでいた。軍は米国の成立より3年歴史が長いことを相当の誇りとしていた。200年以上にわたる戦争の歴史の変遷に合わせたストリーマが整然と沢山飾ってある。(ストリーマ;旗の先に付ける細い布)一つひとつは歴史であり、成果であると考えている。

 米国の軍は「誇り」の歴史であるようだ。さらに、軍の創設から個々の軍人に与えた、勲章受賞者の全ての名前が並んでいるコーナーがあり、この場所で毎年英雄を表彰する。殉職者を称えることを中心に個人の名誉(誇り)に相当の配慮がある。命を冒したり、失ったことで得る「誇り」には「リスク」が表裏一体で存在している。それらを案内した、制服担当の若者は最初から最後まで、こちらを見つめたまま、全く後ろを振り返ることもなく、後ろ向きで歩いている。自信に満ちた微笑を称えたまま、軍の歴史を語っていた。そして長い廊下(全部歩くと28キロにもわたるらしい)を後ろ向きに歩き切った。後ろを見ずとも前進できる。印象深かった。

その後表敬訪問した参謀議長Richard Myers氏(空軍出身初の議長)の部屋にも、そのストリーマの飾りがついた旗が沢山あった。軍のアイデンティティがはっきりと示され、「誇り」を持って示されている。この誇りを見せられた米国市民は軍をどのように見ていることであろうか。

 お世辞であるかも知れないが、ペンタゴンの日本部長Jhon Hill氏からもっとも信頼すべきパートナーは日本の自衛隊と言われた。その世界第2位の実力を持つ「セルフディフェンスフォース」はこの名誉を日本国内では与えられていない。隊員はいかに「誇り」を維持しているのか、つかめない。

次回の続きは9月8日、サンフランシスコ講和条約の締結日に記載します。

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