朝礼スピーチ;ユダヤホロコーストについて
杉原千畝氏によるユダヤ民族の救世について
1940年7月18日、リトアニアのカウナス領事館より杉原千畝氏はユダヤの方々に日本通過ビザを発行してよいか、確認するため、日本外務省に電信をし続けました。その日、ナチスに追われたユダヤの方々が命がけで領事館を取り巻いていたのです。この返信が本国外務省になかったことから、ビザ発給について相当苦しんだそうです。当時の日本は日独伊の3国同盟を重視していた背景がそこにはあります。
7月28日杉原氏は独自の判断をしました。8月下旬に本国に召還されるまで、3000近くの日本通過家族ビザをひたすら書き続けたのです。この勇気ある行動で6000名以上の尊い命が救われました。
日本が世界に誇れる人物の1人と思います。
イスラエル政府は1969年その他4名の功労者と杉原元外交官を並べた記念切手を発行しました。このことは日本では全く知られていません。85年にはイスラエルでヤド・バシェム賞「諸国民の中の正義の人賞」受賞し、その翌年86年に亡くなりました。その後、USAワシントンDCのスミソニアン博物館の一角に「ホロコーストミュージアム」記念館が建てられました。その地下一階に杉原氏の功績をたたえる記念スペースが創設されています。とても立派な建物で、展示資料もすばらしく、内容も深く、2001年に訪問した際には心から感銘を受けました。
日本では岐阜県八百津に記念館があります。
現在も世界で高い評価を受けている人物が、66年前今日この日にその決断をしたことを覚えてください。
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