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2006年5月

朝礼について〜朝の共有時間について

毎朝、ビーシープロダクツでは朝礼を実施しています。
連絡事項と声を出す挨拶。最後にビジネススピーチ。
この間約5分。この朝礼時間に各人はなにを見出すか考察していると大変面白いのです。
朝礼の場所によって、司会者によって、運用の雰囲気は異なるのです。
そういった中、自らスピーチで自分の考えを話したい人間が増えてくると朝礼の雰囲気が変わってくるのが手を取るようにわかります。
そしてそれはなぜ、変わったか理由は十人十色に思えます。
必ず言えること、人は人前でスピーチをする機会を得るたびに人は思慮が深くなります。
このような朝礼をもっと深く意義あるものにしていきたい。
翻ってベンチャー企業であるビーシープロダクツはこの有効活用にまだまだ慣れていないと思います。
皆が同じ時間を上手く共有すると会社は自ら良き方向に向かうと確信しています。
最近、自発的に多くの朝礼運用案が出てきて頼もしくなった手ごたえがあることを付け加えます。

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メール文化〜心遣いが重要な通信サービス

地図を載せてみる…(名古屋本社です)☆

現在、意志の疎通に重要な道具として広く普及している、電子メールの意思疎通について意見を述べます。
この技術・サービスは生活やビジネスにおいて、大変便利で有益と考えています。20年前にはCD−R1枚のデータをアメリカ本土に衛星経由送信するコストが何千万円も必要だった時代とは隔絶の感があります。また便利ゆえ、使い方を間違えると大変有害なものと成ります。なぜならば、通常のメールでは相手の息吹・気持ち・状況が感じにくい。相手の方がこちらの気持ちを理解できずに読めば、いかなる言葉を使おうとも意思は全く通じないことが良く発生します。バーチャル空間では顔が見えないので、どうしても言葉が心に沁みにくい。逆に、良いイメージを持っていると全て前向きに読めてくる。たとえば、感謝の言葉で飾るとメール自体が内容が明るくなる。考えてみれば、身内のメールは短く、端的。それで十分であり、人間関係が遠くなるほど、誠心誠意の文章が生きてくるはずです。
仕事はこのようなことに気をつけるべきと考えます。
交渉、特にトラブルではメールは混乱を助長していることは多いと感じます。「メールに頼り、直接会って話しをしない。」これはとても危ういことです。業務をメールだけで進めている人は大きなトラブルに巻き込まれやすい。それは、人が言葉が同じイメージを共有できないことが1つの原因であるのです。いつも仕事でメールを多用する方は同様の思いを味わったことがあると思います。私は新たな概念を人に伝える際、メールは使わないようにしています。人と会って話さないと、言葉は違うイメージを作り誤解を生むからです。
「知」を伝えるシステムは「心」に対して弱いことを感じる日々です。

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携帯電話 人を退化させる?

最近、気になることがあります。

所かまわず地面にそのまま座る。靴をスリッパのように履く。人前で平然と化粧をする。そして人前で平気で 着替える女子高生までいます。人としてのモラルが在りません。これらの事象で共通することは外=社会に出ている緊張感が欠落し、自宅/」と「社会/」の差が意識の中で薄れ、自宅に居る感覚で社会生活をしていると考えます。
私の推察ではこういった現象の原因の1つに携帯電話の普及があるように思えす。どこでもかまわず電話できる環境がある。いつでもメールが受けられる。出せる。周りにある「場」のメリハリが薄れ、身の回りの人間が見えなくなり、そして関係なくなるのではないでしょうか。
提案として、教育のためにも携帯電話の利用年齢制限を作り、社会参加への憧れを設定したい。利用できる年齢を18歳以上にして、大人の自覚を持たせ、ルール・マナー、道徳といった責任と義務を持つことで携帯利用の権利を得ることを知らせたいと思います。人は社会を意識して初めて「大人」になるのです。規制を作ることで、社会での緊張感維持に少しでも役立つことを願います。

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個人主義について 責任と義務そして行動制限

個人主義。
  日本の文化ではGHQ管理下になるまで存在しなかった概念でしょう。よそから来た概念もあり、現在の日本においては個人主義と利己主義を勘違いしている場面を良く見かけます。
  まず、個人主義とは「責任と義務を負った上での、個人の意思に沿った行動、思想」と考えます。利己主義とは「責任と義務を負わない個人主義」。これを個人主義と間違えています。自分の行動についての責任を体で判っていないのです。これは親の教育「責任」です。また、自由とは「思ったことを制限なく発言できる」ことであり、人間社会においては発言以外、自分の思ったとおりのことは出来ないのです。これも勘違いされています。なにをしてもよければ、互いに生活できなくなることを理解されていないと感じます。互いに自分の行動が自由であれば、生活できません。多くの方が考えている「自由」は社会規範制限の中での自己意思の発揮なのです。

  新たに出来たサービスや生活様式には歴史や文化による制限が少ないのも実情です。どなたか、携帯電話のマナーの有名なサイトやブログがあれば、お知らせください。
ここでとやかく書いてもあまり社会に影響がでないので、提案は控えますが、携帯電話を自由に使わせたとしたら、どうなるか、皆さんはきっと体で感じると思われます。

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母の日の由来について

ギリシア時代 まで遡る話しから、古代ギリシャ人が、オリンパスの神々の主神ゼウスに捧げた花がカーネーションであり、母の日は神々の母リーアに感謝する春祭りから発祥したともいわれます。また、カーネーションは花冠を作るのに欠かせなかったところから花冠を意味するラテン語CORONAにちなんでCARNATIONと名付けられたといいます。
1900年代のヴァージニア州が起源といわれています。1905年5月9日、アンナ・ジャービスという人の母親が亡くなり、彼女は、「亡き母を追悼したい」という想いから、5月10日、フィラデルフィアの教会で白いカーネーションを配りました。これがアメリカで初めて行われた母の日だそうです。その活動は徐々に大きくなり1907年頃には、母の日の祭日を設ける運動が全米で繰り広げられ、ほとんどの州に広まりました。1914年、時のアメリカ大統領ウィルソンが5月の第二日曜日を母の日と制定しました。
日本で初めての母の日が行われたのは1915年(大正4年)に教会で祝われ始め、徐々に一般に広まっていったと伝えられています。昭和に入ると当時の皇后の誕生日3月6日を母の日としていました。
また、一般に広く知れ渡ったのは1937年森永製菓が告知を始めたことがきっかけと言われます。 現在のようになったのは、戦後しばらくしてからでした。

母の日の市場規模は、2002年度のデータで5,000億円。この数字はクリスマス商戦(2002年度は4,000億円)より多い数字です。すなわち母の日は、クリスマスよりも市場規模の大きいギフトイベントだと言えます。

たまには、母親が自分を生んだとき、どんなことを考え感じていたか聞いて見たくなりました。

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社会正義 人に迷惑を掛けないこと

 最近、若い方のみならず、中年の方も個人主義を勘違いされていると感じる場面に出会います。そういった方に質問をします。「なぜ、人は他人を殺してはいけないのでしょうか?」意外に多くの方が答えに窮します。生活規範の基本概念に対して「なぜ」を自ら考えないためと思われます。

殺していけない理由について私の意見を述べます。人間の生活規範にはが存在します。まず、「法」の視点では、「禁止」とすること。古来より「人を殺していけない」と決まっているのです。多くの指導者や宗教家がこれを決めて「畜生」と人間を分離する考えを示しました。だからやってはいけない。「理」の視点では、「哲学」の合理性。他人が自分を殺しに来ると考えて日々行動することは時間・労力・コスト全て割に合わない。自分が相手を殺さないと示し、互いに理性を持って殺さないと確認することで生活の効率を上げる。合理的に生きる知恵です。「情」の視点では、「気持ち」。もし自分の身内が殺されたら悲しいでしょう。相手も同じです。さらに恨みの連鎖も起こります。悲しみが続くことになる。だから殺してはいけない。

人間はどういったときに他人を殺すのでしょう。本来哺乳類の社会では生きていくため、雄は縄張りを守り、一族を守ります。一族の生活のため、命を賭けているので、まれには相手を殺すことも起こります。しかし、むやみに殺しはしない。人間は動物のような争いをなくすための基本生活規範を理解しているに関わらず、「戦争」という大量殺戮を定期的に起します。これについての考察は、順次掲載いたします。

次回、個人主義とはなにかを取り上げてみます。

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